SSブログ

仏教と儒教 [放送大学]

今学期最後の単位認定試験は「仏教と儒教」。

今学期に新規開設された科目で、内容も相当難しくてどうなるかと思いましたが、結局教科書持ち込みありの試験になったので何とか乗り切りました。

内容は名前の通り、前半が仏教、後半が儒教ときれいに分かれていて、それぞれの発祥、日本での歴史、日本文化への影響が説明されています。

仏教で言えば、インドでの釈迦牟尼世尊から始まり、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)に分かれる。そして日本に伝わり、南都六宗から聖徳太子の三経義疏と受容が進む。
平安時代になり、最澄の天台宗、空海の真言宗が伝わった後、日本独自の発展をはじめ、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗と、念仏を唱えると誰もが往生がかなうとして民衆に普及する。
さらに江戸時代になると現世肯定的になり、「万民徳用」とか、日々の職業生活の中でつとめを果たせば悟りが開けるとか、個と社会の関係を視野に入れた考え方が生まれてきます。

儒教についても、中国の春秋戦国時代に孔子、孟子によって生み出された思想が宋の時代に朱子学として発展し、その後陽明学が生まれてくる。しかし、儒教の場合は宗教的側面を除いた形で日本に受容され、朱子学が受容され、それを批判してさらに遡って論じる古学が生まれます。
近世の古学は、人間が生まれながらに持つ四端の心を他者に拡充することが求められるという伊藤仁斎、個が社会組織たる道で生きるとする万人役人論を唱えた荻生徂徠など、近世の仏教と同じような現状肯定的な個と社会を論じる考え方が生まれます。

何だか近世になると仏教も儒教も同じような話になってくるのですが、さらには神道というものがあって、これらが習合して日本人の文化や価値観が生み出されていったのだと思います。


さて、今学期は「イスラーム世界の歴史的展開」といい、本科目と言い、宗教の科目を受講しましたが、キリスト教やイスラームのような一神教と、仏教や儒教は同じ宗教というくくりかたで意味があるのか不思議なほど違います。
呪術、認識論、倫理、社会思想といった様々な要素がそれぞれの「宗教」で入ったり、入っていなかったりします。

結局のところ、世界はどんな仕組みなのか、人はどう生きるのか、という人間が持つ根本的な疑問に答えようとする考えが宗教ということなのでしょうか。

日本人は無宗教だと言いますが、全くそんなことはなく、こうした神道、儒教、仏教が習合した強固な宗教が根付いていると考えた方がいいのだと思います。そのフレームワークに合うものは受容され、そうでないものは受容されない。
キリスト教が根付かなかったのも日本人が無宗教だったのではないのではないかと思います。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0