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福井嶺北旅行 [旅・出張]

連休なので、半年ぶりの国内旅行で福井に行ってきました。
オタマジャクシのような形をした福井県は、頭の部分の嶺北と、しっぽの部分の嶺南に分かれます。嶺南の小浜や敦賀は行ったことがあるので、今回は嶺北に。

車がないと不便だというのに抗って公共交通機関で移動したところ、1回タイミングを逸してタクシーを使ったほかは、意外にバスで待ち時間もなく効率よくまわれました。

■福井

小松空港からバスで福井へ。
駅の周りは電柱が地中化されていて、路面電車(えちぜん鉄道)が走っていて良い感じ。
ホテルにチェックインして閉館間際の福井県立歴史博物館で予習。
http://www.pref.fukui.jp/muse/Cul-Hist/

全く知らなかったのですが、戦後直後の1948年に福井地震という強烈な地震があり、福井は壊滅的な被害を受けたのだそうです。終戦直前の1945年には空襲も受けており、そこから復興したということで、福井は「不死鳥の町」をうたっており、フェニックスを冠した施設が町にあったりします。
ちょうど着いた日も「福井城址お堀の灯り」という慰霊のイベントをやっていました。

特別展では「敦賀湊と三国湊展」というのをやっていました。これら二つの港はかつて交易で大変に栄えていて、遊郭もあって賑やかだったそうです。

その他、「昭和のまちなみ」という昭和の家、店、電化製品、車などを並べた楽しい展示があります。子供の頃、こんなのがあったなあ、という懐かしさを感じます。

じっくり見たかったのですが閉館時間になってしまったので、退館し、ソースカツ丼を食べ、福井城址を見て、ホテルに。
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夕食は近くの店で。刺身はもちろん、野菜の料理もおいしく、ビールも日本酒も進みました。梵の「トキシラズ」という酒がおいしかったため、おかわり。

その後、繁華街の片町のバーでカクテルを飲みまくり就寝。
一晩目から飛ばしすぎ、散財しすぎで現金が・・・。


■一乗谷朝倉氏遺跡

翌日はバスで一乗谷朝倉氏遺跡へ。
本当は九頭竜線で行こうと思ったのに、なんと大雨で運休でした。

今回の旅行で一番楽しみにしていたところにもかかわらず、なぜか起きてから体調が優れず、猛暑の中で汗だらだら。

一乗谷は中世に福井を支配した朝倉氏が拠点とした地域で、狭まった上下に挟まれた谷間に城下町が形成され、1万人が住んでいたそうです。
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信長に滅ぼされて灰燼に帰していましたが、近年発掘が進められ、一画には当時の町並みを再現した「復原街並」というものがあります。
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■永平寺

バスで永平寺まで。
新緑の中の永平寺も良かったのですが、写真で見るような雪深いシーズンにも来てみたいですね。
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■丸岡城

さらにバスで丸岡城へ。
日本最古と言われる天守閣が残ります。
中の階段は、というかほとんどはしごはものすごく急で、前がスカートの女性だととても困ります。

とても古いので、国宝で重要文化財だったのに、1948年福井地震で倒壊してしまい、残された材料で1955年に再建したものの、国宝ではなくなってしまったそうです。近くに小さな博物館があり、チケットは城とセットになっています。

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■三国

さらにバスで三国まで。
三国は九頭竜川の河口に形成された川湊で、水深が浅く大きな船は入れなかったものの、地域内の物流の拠点として大いに発展しました。
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同じように栄えた敦賀は日本海から京都へ向かうための港であり、性格を異にしています
豊かだった当時の建物が残されており、旧岸名家、旧森田銀行本店として公開されています。
特にこの旧森田銀行本店は外観は地味なものの内装は美しく、ケヤキの一枚板を割ってつなげた大きなL字型のカウンターが残されています。

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向かいの喫茶店で塩味のアイスクリームを食べてから、三国港に向かって歩きました。結構古い民家が残っていて、木造ですが、徳島の脇町のような「うだつ」を持つ家がたくさんありました。

三国港まで歩き、定番の海鮮丼を食べ、海に沈む夕日を見てからえちぜん鉄道であわら温泉まで戻って一泊。おとなしくアルコール抜き。
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■福井県立恐竜博物館

三日目は朝起きて福井県立恐竜博物館へ。
あわら湯のまち駅から「あわら恐竜号」というバスで一気に行けます。
10:00過ぎに博物館到着。学生料金で入場。

人、特に子供が多い。なので、説明にはかなが振られていますが、内容はかなり高度。。
恐竜だけではなく、植物、昆虫、ほ乳類についても触れられています。
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日本での恐竜発掘が盛んになったのは1970年代以降。
もともと日本の地層は新しいものと考えられていたが、大陸の一部として生まれた古い部分もあり、いろいろな化石が見つかり始めているとのこと。

恐竜の姿勢や形など、かつて考えられていた絵と現在の修正された絵も比較されていた。子供の頃に覚えた知識はもう役に立たないですね。


■越前大野

コミュニティバスで勝山駅まで行き、タクシーに乗り換えて、「北陸の小京都」越前大野まで。
http://www.ono-kankou.jp/

電柱の地中化は途上のようですが、茶色く塗られていて好感。

大野は、福井県東部の盆地にあり、なかなか発展していたようで、種痘も江戸よりも先に導入したり、海から遠いのに船を買ってサハリンを探検したりしたそうです。


まずは、石畳の七間通り(しちけんどおり)。ここは毎朝市が立つそうで、それも見たかったのですが、この時間だと人通りすらありません。ここには南部酒造場があり、地酒の「花垣」を買いました。
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越前大野は「名水のまち」ということで、街のあちこちに水が湧いています。その1つ、大清水(おしょうず)に行き、舞茸おろしそばで昼食。
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朝倉義景公墓所を見て、さらに大野市民俗博物館を見てから、亀山の上に立つ越前大野城へ。
これは、石垣しか残っていなかったものを昭和43年に再建したもの。眺めは素晴らしいですが、ちょっと味わいには欠けるかも。
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日差しも強くて、水分をとりながら武家屋敷旧内山家。
これは庭園も素晴らしく、屋敷も民家のようではあるものの、釘隠しなど、細かい意匠が行き届いていて美しい。

石灯籠通りを通って城下町の一番端の寺町を歩いて、越前大野駅まで戻って、帰路へ。

暑くて体力を消耗した上に、小松空港からの飛行機も1時間近く遅れたので、なかなか疲弊しました。

楽しかったけど、夏の旅行はきついですね。

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