山形石巻旅行 [旅・出張]
11月の三連休は、山形、石巻に行ってきました。
最初はマイレージを利用して飛行機で旅行しようと思ったものの、空港一覧を眺めても良いアイデアが湧かず、久し振りに鉄道旅行です。
■米沢
例によって睡眠不足のまま新幹線で米沢へ。
大宮から新幹線に乗ると1時間半ほどで着いてしまうのですね。
まずは駅前で米沢牛のリッチな昼食。
昼間からワインを飲んでしまった。
米沢と言えば上杉家。
特に、藩を立て直した上杉鷹山は人気があるようです。
バスで行って上杉家の墓地である上杉家廟所を見て、歩いて上杉神社まで。
稽照殿、上杉神社、松が岬公園と見てから、隣接した米沢市上杉博物館を見学。狩野永徳の洛中洛外図(上杉本)はなんと米沢にあるのですね。展示されていたのはレプリカですが。
米沢は米沢牛以外に米沢ラーメンでも有名なんだそうです。ラーメンは食べられませんでしたが。
市中には米沢牛と米沢ラーメンの看板ばかり。
考えてみれば、焼き肉とラーメン。強い引力を感じますが、中年の敵です。
■赤湯
山形に行く途中には赤湯で降りて、赤湯温泉まで。
駅から温泉街は少し離れていますが、てくてく歩いて行きました。
赤湯温泉には共同浴場がいくつかあり、赤湯元湯へ。
いかにも地元の銭湯という感じで、脱衣場も大混雑。
硫黄の臭いがするいかにも温泉という湯。
さらに、ここ、なんと200円。しかし、これでも高い方で他の共同浴場は100円だそうです。
さて。普段は温泉なんて行ったりしないのにここに来たのは理由があります。
父方の祖母壽美子(1913年3月26日-2004年2月2日)は椎谷明治郎、たけのの四女として山形県に生まれました。
ということで、ルーツの旅という訳です。
山形県の赤湯温泉あたりの出身と言われており、幼少時代に兄と二人で東京に養子に来たそうです。
今では山形の親戚とはつきあいもありませんし、そもそも祖母が亡くなったときに戸籍を調べた際も、文京区から東京大空襲で焼けてしまったため、これ以上調査できないという回答が来ました。
長野、大津。そしてニューヨーク、モスクワ、ウラジオストック、上海、ハルピン。
先祖に関わりがある土地を訪問しようシリーズ。ここ山形で完結です。
■山形
一泊目は山形。
山形には仕事でも私用でも来たことはあったものの、きちんと観光したことはありません。
夕食は七日町で食べ、その後バーで少し飲みましたが、地元の人と話したり、楽しい夜でした。
さて、山形は、まあ、普通の地方都市ではあるものの、洋館が多く残る街でもあります。
その親玉が旧県庁舎である文翔館。
街の中心から歩いて行くと、電線が地中化された道の突き当たりに立っています。
1975年までの県庁舎としての役割を終えた後、跡地を駐車場にしようという案もあったそうですが、10年かけて内部を復原し、素晴らしい建物として残っています。
この県庁舎と隣の県議会堂、当時の県知事であった馬淵鋭太郎が計画したものの、あまりに費用が高額であったために、議会は反対し、材料の変更や、議会と公会堂の併用などの修正案を出したそうです。
それでも馬渕はゆずらずに抜き差しならない対立になり、結局馬渕は山口県知事に転任。
しかし、結果としてできたこの建物は山形のランドマークになっています。
このようにかつての立派な県庁舎が残されているのは、山形の他に山口だけだそうです。
そして、山口というのは馬渕が転任したところでもありますね・・・。
内部は見学でき、復原された素晴らしい漆喰の造形も見ることもできます。
地元の人の絵の展示会をやったり、喫茶店で珈琲を飲むことも出来ます。
となりの旧県議会堂も雰囲気がある建物で、内部はまるで教会のよう。
実際に現在は結婚式場としても使われるそうで、見学した際もウェディングドレス姿の女性がいました。
旧県庁舎、旧県議会堂から少し歩いたところにある山形県立博物館教育資料館は、旧山形師範学校本館。
静謐で、歴史を感じさせる雰囲気があります。
見学者も私だけでしたし・・・。
その後、山形美術館で近代洋画、院展を見て、山形県立博物館で縄文の女神を見て、山形市郷土館(旧済生館本館)を見てから山形駅にダッシュして仙山線へ。
■山寺
立石寺、通常山寺は天台宗の寺院。
1000段の石段で有名。
山寺駅で降りて昼食をとり、石段へ。
結構いろいろな建物が途中にあるので、それほどのきつさもなく奥の院へ。
ここから横にそれると開山堂、五大堂があって眺望が楽しめます。
芭蕉の句、「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」で有名な寺なのですが、この雰囲気を味わうには蝉がいる夏に来た方が良いかも。
■石巻
二泊目は石巻。
東日本大震災は何が起こったのか、そして今も何が起こっているのかを自分の目に留めておきたいと思っていて、これまでも南三陸、釜石・気仙沼、久慈を見てきました。
そして石巻。
仙台に次ぐ宮城県第二の都市ですが、震災で最多、3000人を超す犠牲者を出してしまいました。
河口に広がる低地の街が浸水しましたが、河口近くにぽっこりと60mほどの高さの日和山があります。
多くの人がここに逃れて助かりました。津波に飲み込まれ、続いて火に包まれる街を見ているしかなかったそうです。
多くの人が亡くなりましたが、ここに山があったという地形の幸運も感じます。そうでなければどうなったでしょうか。
てっぺんの日和見公園は展望台のようになっており、震災前の景色の写真のパネルも展示されています。
特に海側の門脇地区は、現在は更地に寺と墓地くらいしかないので、ギャップがあります。
陸側も川沿いの景色が大きく変わっています。
特に漫画が好きという訳ではないですが、中州にある石ノ森萬画館を見て、その後橋通りにある復興まちづくり情報交流館を見て、石巻NEWSeeへ。震災直後に、設備を失ってしまった記者たちが手書きで発行した壁新聞の現物が展示されています。
東京にいるとすっかり聞かなくなった言葉ですが、石巻に着いた夜に飲んだ際も、日和山の登った際も、周囲の会話からは震災、復興という言葉が漏れてきます。
震災から四年半という時間の流れの早さが、被災地とそれ以外では異なってしまっている感じです。
今回も持参したこの本を再度紹介しておきます。
仙石線も再開し、良い意味で、少し情報は古くなってきていますね。
街に戻り、お土産に笹かまを買って、昼食に鮨を食べて、仙石東北ライン、東北新幹線で東京に帰りました。
最初はマイレージを利用して飛行機で旅行しようと思ったものの、空港一覧を眺めても良いアイデアが湧かず、久し振りに鉄道旅行です。
■米沢
例によって睡眠不足のまま新幹線で米沢へ。
大宮から新幹線に乗ると1時間半ほどで着いてしまうのですね。
まずは駅前で米沢牛のリッチな昼食。
昼間からワインを飲んでしまった。
米沢と言えば上杉家。
特に、藩を立て直した上杉鷹山は人気があるようです。
バスで行って上杉家の墓地である上杉家廟所を見て、歩いて上杉神社まで。
稽照殿、上杉神社、松が岬公園と見てから、隣接した米沢市上杉博物館を見学。狩野永徳の洛中洛外図(上杉本)はなんと米沢にあるのですね。展示されていたのはレプリカですが。
米沢は米沢牛以外に米沢ラーメンでも有名なんだそうです。ラーメンは食べられませんでしたが。
市中には米沢牛と米沢ラーメンの看板ばかり。
考えてみれば、焼き肉とラーメン。強い引力を感じますが、中年の敵です。
■赤湯
山形に行く途中には赤湯で降りて、赤湯温泉まで。
駅から温泉街は少し離れていますが、てくてく歩いて行きました。
赤湯温泉には共同浴場がいくつかあり、赤湯元湯へ。
いかにも地元の銭湯という感じで、脱衣場も大混雑。
硫黄の臭いがするいかにも温泉という湯。
さらに、ここ、なんと200円。しかし、これでも高い方で他の共同浴場は100円だそうです。
さて。普段は温泉なんて行ったりしないのにここに来たのは理由があります。
父方の祖母壽美子(1913年3月26日-2004年2月2日)は椎谷明治郎、たけのの四女として山形県に生まれました。
ということで、ルーツの旅という訳です。
山形県の赤湯温泉あたりの出身と言われており、幼少時代に兄と二人で東京に養子に来たそうです。
今では山形の親戚とはつきあいもありませんし、そもそも祖母が亡くなったときに戸籍を調べた際も、文京区から東京大空襲で焼けてしまったため、これ以上調査できないという回答が来ました。
長野、大津。そしてニューヨーク、モスクワ、ウラジオストック、上海、ハルピン。
先祖に関わりがある土地を訪問しようシリーズ。ここ山形で完結です。
■山形
一泊目は山形。
山形には仕事でも私用でも来たことはあったものの、きちんと観光したことはありません。
夕食は七日町で食べ、その後バーで少し飲みましたが、地元の人と話したり、楽しい夜でした。
さて、山形は、まあ、普通の地方都市ではあるものの、洋館が多く残る街でもあります。
その親玉が旧県庁舎である文翔館。
街の中心から歩いて行くと、電線が地中化された道の突き当たりに立っています。
1975年までの県庁舎としての役割を終えた後、跡地を駐車場にしようという案もあったそうですが、10年かけて内部を復原し、素晴らしい建物として残っています。
この県庁舎と隣の県議会堂、当時の県知事であった馬淵鋭太郎が計画したものの、あまりに費用が高額であったために、議会は反対し、材料の変更や、議会と公会堂の併用などの修正案を出したそうです。
それでも馬渕はゆずらずに抜き差しならない対立になり、結局馬渕は山口県知事に転任。
しかし、結果としてできたこの建物は山形のランドマークになっています。
このようにかつての立派な県庁舎が残されているのは、山形の他に山口だけだそうです。
そして、山口というのは馬渕が転任したところでもありますね・・・。
内部は見学でき、復原された素晴らしい漆喰の造形も見ることもできます。
地元の人の絵の展示会をやったり、喫茶店で珈琲を飲むことも出来ます。
となりの旧県議会堂も雰囲気がある建物で、内部はまるで教会のよう。
実際に現在は結婚式場としても使われるそうで、見学した際もウェディングドレス姿の女性がいました。
旧県庁舎、旧県議会堂から少し歩いたところにある山形県立博物館教育資料館は、旧山形師範学校本館。
静謐で、歴史を感じさせる雰囲気があります。
見学者も私だけでしたし・・・。
その後、山形美術館で近代洋画、院展を見て、山形県立博物館で縄文の女神を見て、山形市郷土館(旧済生館本館)を見てから山形駅にダッシュして仙山線へ。
■山寺
立石寺、通常山寺は天台宗の寺院。
1000段の石段で有名。
山寺駅で降りて昼食をとり、石段へ。
結構いろいろな建物が途中にあるので、それほどのきつさもなく奥の院へ。
ここから横にそれると開山堂、五大堂があって眺望が楽しめます。
芭蕉の句、「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」で有名な寺なのですが、この雰囲気を味わうには蝉がいる夏に来た方が良いかも。
■石巻
二泊目は石巻。
東日本大震災は何が起こったのか、そして今も何が起こっているのかを自分の目に留めておきたいと思っていて、これまでも南三陸、釜石・気仙沼、久慈を見てきました。
そして石巻。
仙台に次ぐ宮城県第二の都市ですが、震災で最多、3000人を超す犠牲者を出してしまいました。
河口に広がる低地の街が浸水しましたが、河口近くにぽっこりと60mほどの高さの日和山があります。
多くの人がここに逃れて助かりました。津波に飲み込まれ、続いて火に包まれる街を見ているしかなかったそうです。
多くの人が亡くなりましたが、ここに山があったという地形の幸運も感じます。そうでなければどうなったでしょうか。
てっぺんの日和見公園は展望台のようになっており、震災前の景色の写真のパネルも展示されています。
特に海側の門脇地区は、現在は更地に寺と墓地くらいしかないので、ギャップがあります。
陸側も川沿いの景色が大きく変わっています。
特に漫画が好きという訳ではないですが、中州にある石ノ森萬画館を見て、その後橋通りにある復興まちづくり情報交流館を見て、石巻NEWSeeへ。震災直後に、設備を失ってしまった記者たちが手書きで発行した壁新聞の現物が展示されています。
東京にいるとすっかり聞かなくなった言葉ですが、石巻に着いた夜に飲んだ際も、日和山の登った際も、周囲の会話からは震災、復興という言葉が漏れてきます。
震災から四年半という時間の流れの早さが、被災地とそれ以外では異なってしまっている感じです。
今回も持参したこの本を再度紹介しておきます。
仙石線も再開し、良い意味で、少し情報は古くなってきていますね。
街に戻り、お土産に笹かまを買って、昼食に鮨を食べて、仙石東北ライン、東北新幹線で東京に帰りました。
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