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合掌造りと高岡 [旅・出張]

2016年の年末は、岐阜と富山に行ってきました。
7月に買った新車で、泊まりがけの旅行は初めてです。

■岐阜

以前に岐阜に行ったのは30年近く前、学生時代に青春18切符で。
その時は、何だか寂れている印象を受けました。

久し振りの岐阜は路面電車こそなくなったものの、JR、名鉄の駅の周辺は若者も多く、おしゃれな店が並んで賑わっています。
が、柳ヶ瀬に行くとイメージ通りの?地方の繁華街。
渋いバーテンダーがいる小さなバーで飲みました。


■合掌造り・白川郷

二日目は白川郷へ。
以前この辺りに来たときは、東海北陸自動車道は郡上八幡くらいまでしかなかったと思いますが、現在は北陸まで全線開通しています。

世界遺産の白川郷も白川郷ICからすぐです。
が、集落に入る辺りから各地のナンバーの車で渋滞。駐車場が満車で入れ替わりで入れています。


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ようやく車を駐め、橋を渡ると荻町集落。アジア中心の海外観光客も多く、テーマパークのよう。

ただ、合掌造りは期待以上に楽しめました。
生活をしている集落なので、入れる家は3~4軒ですが、かなり巨大。
5階まであるものもあり、住居というより、マンションのよう。
釘をほとんど使わない、と言われますが、まずその巨大な建築を可能とした技術に驚きです。

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どの家も構造は似ていて、基本的に住居は1階となっています。
囲炉裏が必ずあり、居間の他に立派な客間や仏間があります。
客間は欄間の彫刻も施され、違い棚、床の間というフル装備。
仏間には「報恩講」という見慣れない言葉の説明が。
これは現地では「ほんこさま」と言われており、浄土真宗の行事のようで、冬にごちそうを食べたりするそうです。
そのための立派な食器も残されており、今でもやっていると後に訪ねた相倉集落の人も言っていました。
この辺りは浄土真宗が信仰されていたようですね。
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中二階には独身者・使用人の部屋がありますが、巨大な屋根裏の2階以上は作業場となっており、養蚕、紙すき、硝石の製造が行われていました。
現在公開されている家屋では博物館のように昔の農機具などの展示場所になっています。
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養蚕を行うというのは東日本中心に江戸以降の日本で普通に見られたことですが、合掌造りという特異な建築が生まれたのは、雪深いために急傾斜の屋根が必要となったこと、山間で農耕地を最大限確保するために屋根裏を活用したことがあります。
1階の囲炉裏の上部は格子の吹き抜けになっており、暖気が上階にも流れるようになっています。逆に言うと暖房効率が悪そうですが。

硝石造りというのも興味深く、床下に蚕の糞、そして人の尿を重ねていって、原料としたそうです。

今でこそ高速道路で行けますが、厳しい山間の生活、生きていくためにいろいろな工夫をしたことがうかがえます。
その一方で、行事のための衣服や食器は割と贅沢なものが残っていたりします。
しかし、戦後経済が発展する中で、医者もいない山村は取り残され、廃村になったりする事例もあったようです。
だからこそ古い家屋が残ったとも言えるし、そして世界遺産になったからこそ、今に残っているというのは幸運としか言い様がありません。

来るときに降っていた雪が上がったので、展望台に上ってみました。
白川郷荻町集落の合掌造りの特徴は、切妻の屋根の向きが揃っていることで、そのことがこの美しい景観を作っています。
谷の流れる向きに揃っていますね。
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■高岡

2泊目は高岡、富山県第二の都市。
都道府県所在地はほぼ行ってしまったので、最近は第二の都市に注目です。

着いた晩には寒ブリ、平目、香箱ガニを食べ、翌朝から市内巡り。
万葉線というしゃれた名前の路面電車が走っています。

まずは瑞龍寺。曹洞宗の寺というのが北陸っぽい。
一直線に並んだ山門、仏殿、法堂が国宝になっていて、その他の建物も重要文化財です。
伽藍の配置は永平寺や萬福寺に似ています。
禅の寺らしく派手さはありませんが、よく見てみると欄間の彫刻や、釘隠しが凝っていたり、襖の模様と引手のデザインが統一されたり、いい感じです。
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駅の反対側に行って、日本三大仏の一つという高岡大仏を見てから、高岡の二つの重要伝統的建造物保存地区の街並みへ。

一つ目は山町筋(さんちょうすじ)。
歩いていて、どこかよくわからなかったほど、交通量が多い車道で、ぽつりぽつりと土蔵造りの建物がありますが、景観をぶちこわすような建物もあって、台無しです。
黒っぽい古い街並みに、白いビルが建っているのは他でも見ますが、所有者の意図は謎です。
電線は地中化され、電灯もデザインされていますが、歩いて楽しいというには到らない感じです。残念。

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一方、川を渡っていったところにある金屋町(かなやまち)は、石畳になっていて、ずっといい感じです。
高岡は鋳造の街で、高岡銅器は国内でも圧倒的なシェアを誇ります。
住居だけではなく、銅器の会社と思われる家も多く、見ていると金森など金属系?の名字が多くあります。
江戸時代の勅許鋳物師の系統のようですね。
古い家々の前に鋳造された像が一つ一つ置かれているのもしゃれています。
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五箇山へ行く途中で雨晴海岸(あまはらしかいがん)からの景色。
高岡は藤子不二雄の出身地としても知られていて、列車もそれにちなんでいます。
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■五箇山の菅沼集落、相倉集落

世界遺産の合掌造りというと岐阜県の白川郷(荻町集落)が有名ですが、実は五箇山の菅沼集落、相倉集落のあわせて三つで世界遺産です。
帰り道に残り二つも訪問。

高速道路のIC一つ離れただけですが、観光客はずっと少なくなります。

菅沼集落は9軒ほどの合掌造りがある小さな集落。
建物は土産物屋やレストランになっていて、観光地化された印象。

白川郷と五箇山の合掌造りは似ていますが、白川郷の合掌造りは平入りであるのに対して、なぜか五箇山は妻入りです。
また、白川郷と違って、五箇山の合掌造りの向きはまちまちです。
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さらに20分ほど車で走ると相倉(あいのくら)集落。
ここは菅沼集落よりは大きい。
開いている相倉民俗館、相倉伝統産業館を見ましたが、人が少なく丁寧に説明してくれて幸運でした。
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3つの村どこでも、家の前に「放水銃」なるものがあります。
囲炉裏で火をたいているものの、木造である合掌造りは火災が天敵だそうで、集落内は禁煙。
いざ火災になった際はここから水が出て、延焼を防ぐのだそうです。
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ということで、富山に日没近くまでいてしまったので、空いている高速道路を走りに走って、帰宅。
家で紅白を途中から見て一年の締めくくりです。
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