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能登旅行 [旅・出張]

国内旅行もいろいろ行ってきたので、最近の注目は離島や半島です。
この連休は能登半島に行ってきました。

午後から出発して飛行機で能登空港へ。
バス、のと鉄道と乗り継いで、最初は七尾へ。
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飛行機から見ると能登半島は山がちではあるものの、あまり高い山は無いようです。
鉄道で走ると、そのゆったりとした山はもちろん、穏やかな七尾湾の海が見え、その間には水田が広がり、黒い瓦の切妻屋根の民家が並びます。
海だけ、山だけ、水田だけ、というのではなく、これらが全部見えて色が美しく、日本の田舎、といった感じです。

七尾は結構大きな街ですね。
ちょうど夏祭りをやっているらしく、縁日の屋台が並んで楽しい雰囲気に溢れていました。
定石のように鮨で夕食、蒸しアワビやノドグロの炙りは美味しい。
そして、サザエなんて食べたのは何年ぶりでしょうか。
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二日目はレンタカーを借りて七尾を出発。
コンパクトカーなのに、自動ブレーキ、車線逸脱警告、ハイビーム切り替え。
時代は進んでいます。

能登島水族館でジンベイザメとイルカを見て、昼は外浦まで走ってこれまた鮨。
ちょっと走っただけなのに、内浦の七尾湾の穏やかな海と違って、波が荒い日本海。
海岸線も起伏が激しく山が迫っています。

走っていると、重要伝統的建造物保存地区の看板を発見し、急遽立ち寄り。
黒島地区は北前船の廻船問屋として栄えた天領で、地区全体が重要伝統的建造物保存地区となっています。全く知らなかった。

港町かと思うと真ん前の海岸の地形を見ても良港という感じではありません。
交易の拠点ではなく、廻船問屋という経営と労働力の機能だけがあって発展したそうです。
当時の黒島地区の船乗りは、春になると大阪まで陸路で行き、そこから北を目指して進みながら交易し、今度は南に下って交易して大阪まで戻り、そこで船を下りてまた陸路で黒島地区に戻ったそうです。
わかったようなわからないような。

廻船問屋だった旧角海家住宅を見てきました。
相当に大きな家で、道路沿いに店があり、奥の海側には蔵があります。
黒島地区を見ても、黒瓦の木造家屋が並ぶだけで、蔵があるように見えませんが、これは潮風にやられないように蔵を小屋で囲った鞘蔵だからだそうです。
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時間を随分使ってしまったので、總持寺祖院をさっと見てからレンタカーを返しに能登空港へ。

總持寺は大がかりな修復工事中で、これは2007年の能登半島地震で損傷を受けたためとのこと。
能登半島地震、あったことも記憶になりませんでしたが、黒島地区も甚大な被害を受け、そこからの復興過程が重要伝統的建造物保存地区となるきっかけでもあったようです。
台風の影響を受けてから重要伝統的建造物保存地区となった御手洗の話にも通じるものがあります。
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能登空港から輪島にバスで出て一泊。
鮨はいいやと思って割烹に行ったら、またもや海産物食べすぎ。
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重い体を引きずって、御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)の実演を見てきました。


最後の朝は、これまた定番の朝市を見てから輪島塗会館。
輪島塗は分業体制で、全体プロデューサーに相当するのが塗師。
塗師は各地を売りに回ると同時に文化を吸収してきたのだそうです。
展示されている漆塗りを見ると、そのデザインに文化的蓄積を感じます。

今回は時間も短く、白米千枚田など定番も行けませんでした。
東京からの飛行時間も短く、自然と調和した田舎で、食べ物も美味しく、文化も深い。
また行ってみようと思う場所でした。


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