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日本の古代中世 [放送大学]

放送大学ではこれまで「日本の古代」、「日本の中世」という科目を履修していて、それぞれ苦労しました。

でも、面白いんですよね。
昔のことでありつつ、近年の研究によって見方も変わってきています。
子供の頃に学校で習った内容とも違ってきています。

と言うことで、今では一つの科目になってしまった「日本の古代中世」を履修してみました。
まあ、相変わらず難しくて、試験も自信を持って回答できたのは半分くらい。

近年の日本史では、支配者の歴史だけではなく、地方の歴史に注目すること、国際関係の中で理解することが重視されているようです。
今回特に興味を持ったのは中世の地方の支配構造です。

土地には国衙領と荘園に分けられますが、共通して地方の土地を意味する下地と、そこからの取り分を意味する上分があります。

国衙領については、中央の朝廷と国司が上分を管理し、地方の群司と名主が下地を管理します。
荘園については、中央の本家と領家(預所)が上分を管理し、地方の下司と名主を管理します。

しかし、鎌倉幕府は地頭を任命しはじめます。
地頭として起用されたのは群司や下司であり、そうなると朝廷・本家と幕府の二つの支配を受けることになります。

chusei.gif

今風に言うとレポートラインが二重になってしまっています。
これがややこしいので、分割して支配をそれぞれ一元化する下地中分も行われました。

戦国時代となる複数の権力体から税を求められる「二重成し」という言葉もあったようです。
現代の感覚だと、統治というのは排他的に行われるものと考えてしまいますが、中世は多重的なものだったようです。


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