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森達也「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面」 (講談社現代新書) [読書(教養書・実用書)]


U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書)

U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面 (講談社現代新書)

  • 作者: 森達也
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: Kindle版



座間の白石隆被告の死刑判決が確定してしまったというニュースを見ました。
他人の命をなんとも思わない人は、自分の命もなんとも思っていないーー情性欠如という話を思い出しました。
そして、お正月に読んだこの本を思い出しました。

本書は植松聖被告による相模原の津久井やまゆり園殺人事件を追ったもの、ですが、何か理論的な知見は見解を示してくれるものではありません。
肝心の被告に接見したのは1回ですし、著者の独白や脱線が多い。
何人かの人にインタビューしながら、著者と一緒に考えていくといった構成です。

著者が繰り返しているように、確かに日本の司法制度、特に死刑周りはおかしなことが多いと思います。

・全ての事件において特異性と共に普遍性があるはずであり、それぞれの事件で原因が掘り下げられるべきなのに、被害者ばかりに注目が集まり、セレモニーと化した裁判で死刑があっという間に決まってしまう。
しばしば1審で終わる。

・加害者がなぜその事件を起こしたのかはあまり報道されない。すると加害者の言い分を取り上げるのかと批判される。

・被告が加害を認めているので精神鑑定のみが争点となるが、それがかなり雑。
どうやっても認められることがないので鑑定者も適当にやっている?

・裁判員裁判が導入された結果、鑑定書も含めた情報はそぎ落とされ、審理期間もとても短くなる。
たとえ重篤な犯罪、死刑か否かの判断であっても。

・オウムの時の松本被告もどうみても拘禁反応で壊れた状態にあったのにそのまま死刑にしてしまった。
治療をしてから裁判にかければもっといろいろなことが分かったのではないか。

ということで、世論も司法システムも被害者の応報感情を満たすために一直線に進んでいき、なぜそのような犯罪が起こったのかはわからない。
それで良いのか?ということです。

よく考えれば死刑囚が刑務所ではなく拘置所にいるのもおかしいのでは、という話。
死刑囚には死刑しか科すことができず、刑務所で懲役刑を科すことは出来ないので、(釈放してもいいはずだが)なぜか拘置所に刑が執行されるまで拘束されているのだそうです。
また、死刑が確定すると接見できなくなってしまうようですが、これも根拠がはっきりしたいのではないか、とのことです。


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