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茨城旅行 [旅・出張]

年末に1泊2日で茨城をドライブしてきました。

どこに旅行に行くかは普段でも悩むのに、年末はいろいろな施設が閉まっているし、当然タイミングを考えないとこむのでさらに悩みます。

ということで茨城県。
あまりガイドブックになるような場所でもなく、ぽつぽつと行ったところはあるものの、真面目に?観光したこともないところです。

まず初日は一番遠くまで、ということで袋田の滝へ。
高速道路からもさらに下道を走って着く、なかなか奥まったところです。
カーブがきつい山道を越えて、ということではないんですけどね。
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滝なので見るのはただ、と思いきや、観瀑用の有料トンネルというのがあって、ここを通って行くと滝の前や横に出ることができます。
滝は4段の階段状になっていて、不思議な形です。
冬になると凍るようですが、少し氷が貼り付いている程度でした。
この滝はかつての海底火山の噴火でできた硬い岩が地形変化で斜めの岩盤になっているためにできているとのことでした。

その後、水戸で1泊。
夕食をとった店では、東日本大震災で水戸もかなりの被害を受けたとのことでした。
水戸の街の西側に位置する千波湖という湖、実はかつてはもっと東側まで拡がっていて、そこを埋め立てているので街の中に地盤が弱いところがあるそうです。

翌日は朝、水戸の街を歩いてみました。
水戸の街は千波湖の北の丘というか丘陵地に拡がっています。
歩いてみると、駅からちょっと離れたところに京成百貨店があったり、その間にぱらぱらと飲食店やマンションがあって、つかみ所が無い感じです。
古くて閉まっている建物もあれば、再開発らしき新しい建物もできています。

街の北部は東から本丸、二の丸、三の丸と水戸城の跡が残っています。
三の丸の跡は旧県庁と図書館として使われています。
県庁は移転したものの、まだ三の丸庁舎として残ってはいるようです。
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大手門をくぐって二の丸に進むともっと落ち着いた雰囲気となり、幼稚園や中学校があります。
その奥には県立高校。
そして最後の本丸も県立高校。
県立高校が隣接しているのは不思議ですね。1つの高校にしてしまえば良いのに。

水戸は幕末に水戸学の本拠地。幕末に尊皇攘夷思想が強かった地域です。
明治維新につながる各地の藩校では「国学」が幅をきかせ、国学では「後に」入ってきた仏教より神道を重視するため、廃仏毀釈につながりやすい傾向があるようです。
水戸藩は維新前、日本で最も早い時期に廃仏毀釈を始めており、第2代光圀が寺院整理を行い、第9代斉昭が仏教の排斥を行っています。
今街を歩いていても寺より神社が目立つ印象があります。

そして昭和の時代には、終戦直前の1945年8月2日に空襲を受け、水戸城の三階櫓や当時の市役所も焼失しています。
駅から少し離れたときに、その時空襲を受けたものの生き延びた銀杏の木が残っています。
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さらに東日本大震災。
東日本大震災というと三陸の津波のイメージがあるものの、それよりもずっと広い地域で被害がありました。
水戸でも前述のように建物の被害があり、水戸市役所も被害を受けて半壊、移転を余儀なくされたそうです。

出張では何度も来たことがあった水戸の街、歩いてみて、そして調べてみると色々な発見があります。

昼食は那珂湊まで行って魚市場で。
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ここはすごい人出で、買い物をした人が発泡スチロールの箱を抱えて次々と出てきます。
年末のアメ横のような感じなのでしょうか。年末のアメ横は行ったことがありませんが。
ここで撮れた魚介類という感じではないですよね。チリ産のウニとかもありました。
ただ、ドンコや鰯、カレイといった地元らしき魚は安かったです。
茨城の郷土料理だという、アンコウの共酢を買いました。

続いて川を渡って、アクアワールド茨城県大洗水族館。
鰯の大群が泳ぐのが面白く、海沿いの立地も良いですね。
サメで有名なのだそうです。
大晦日なのに、大晦日だから?子供がたくさんいました。
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最後は霞ヶ浦まで走り、牛久大仏。
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突然現れる巨大な大仏、全長120m。
B級スポットの雰囲気プンプンですが、これは浄土真宗の施設で、親鸞が常陸国とゆかりがあるということでこの地にできたもののようです。
中に入って胸のあたりの高さから外を見ることができますが、あいにく富士山は見えませんでした。
そのほか、周りに何も無いし・・・。

ここで2022年最後の旅行はおしまい。
自宅に帰って紅白を見ました。
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法隆寺金堂壁画 [旅・出張]

法隆寺の金堂壁画を見に奈良に行ってきました。日帰りで(涙)。

クラウドファンディングで保存に寄付すると30分見せてくれる、というものです。

法隆寺金堂壁画は法隆寺そのものと同様に正確な時期はわからないものの、7-8世紀と推定されるとても貴重なもの。
しかし、金堂の解体修理を行っていた1949年に火災が発生してしまいました。
その焼損した壁画は保存されており、それを30分ほど見せてくれるというのです。

温度湿度が管理された収蔵庫に入り、現物を見て驚いたのは、焼損した壁画が並べられているのではなく、
焼けた金堂内部の建材と共に組み上げ直され、あたかも金堂内部のように復元されていたことです。

内部の柱は内側表面がかなり炭化していて火事の現場のような生々しさですが、表面以外は焼け残っているようであり、特に外側は全く焼けていません。
「金堂で火災」といっても、全体が燃えたのでは無く、何らかの原因で内部で発火し、内側が燃えたということのようです。
構造を残していることから、このまま部材を使って復元しようという意見もあったそうですが、現在の金堂の内部は新に作り直したものとなっています。

ということで、焼けた部材で一部鋼材で支えられているものの復元された金堂内部に12面の金堂壁画が配置されています。
これまた焼けて無くなったというのではなく、かなりはっきりと臨閣が残されており、何が書いてあるかわかります。
焼けたことで、色などが失われているようです。
また、大きく欠損している部分は、外部から穴を開けて消火活動したためとのことでした。

なお、金堂内部にはこの12面の壁画の他、上部に山中羅漢図18面、飛天図20面がありました。
山中羅漢図は跡形もなく崩壊して破片しか残っていないものの(恐らく上に炎が拡がったため)、飛天図は解体工事のために取り外されていたためにそのまま残っています。
飛天図は1面だけ公開されていますが、実は全部飛天が左上から飛んでいる同じ絵だということを知りました。
なので、1面だけ公開されているのかも。

今は金堂内部には入れないので、本物ではなくレプリカでも金堂内部を復元したら面白いと思うのですよね。
莫高窟にもそんな展示がありました。


さて、奈良の日帰りはなかなか弾丸でした。
法隆寺の滞在時間は2時間弱、金堂壁画の他は五重塔の塑像、金堂の釈迦三尊像、大講堂、救世観世音菩薩をぱぱっと見る位しか時間がありませんでした。
ただ、救世観世音菩薩はたまたま公開していたので初めて見ることができたのはよかったです。

奈良、一度ゆっくり再訪したいところです。
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屋久島旅行 [旅・出張]

3連休、屋久島に行ってきました。

2回続く3連休、本当は最初の連休で行くはずが、まさかの台風直撃(仕方なく千葉に釣りに行った)。
ばたばたと予定変更して2回目の3連休でようやく行けました。
国内旅行、秋は台風に振り回されますね。

前回飛行機に乗ったのは2020年1月の徳之島旅行、飛行機に乗るのは2年半ぶりということになります。
スマートフォンも変わっているのでアプリにログインし直したり慎重に準備。
空港にも1時間前に着きました。

今回は登山があるのでリュックサックなどの荷物があり、珍しく手荷物を預けました。
羽田空港第1ターミナル、無人の手荷物預け機があるのですが、うまくいかず結局有人カウンター。
時間をロスしたものの、出発して鹿児島空港、バスで港に到着。
この看板を見ると九州に来た感じがします。
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高速船で種子島経由で屋久島の安房港。
到着したのは18:00過ぎにもかかわらず、西に来たのでまだ日没直後で薄明るい。
しかし、すぐに暗くなってしまい、ターミナルも入口が閉じられてしまい、バスが来るまでちょっと不安でした。

バスで真っ暗な中を走って宿へ。
夕食をとって翌朝に供えて早寝です。

翌朝、朝食と昼食を準備して屋久杉ツアーへ。
夜明け前からバスで登山口へ。
バスを降りた登山口で朝食をとると夜明け。6:00出発。

屋久杉登山の前半は、トロッコの線路をひたすら歩きます。
このトロッコは、世界遺産になるより前、杉の伐採が行われていたときのものですが、実はまだたまに走っているそうです。
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トロッコの線路は何か所か川を渡っており、手すりがないところもあって怖いです。
川の水はきれいで、大きな岩がゴロゴロしています。
これは花崗岩らしい。
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屋久島は高い山が並んでいます。
どれくらい高いかというと、鹿児島県の最高峰は屋久島にあります。
というか、九州の最高峰は屋久島にあります。
さらに、九州の高い山の1-8位は屋久島にあるそうです。
(「山」の解釈の違いで、島外では1-7位ともいう)

一方、隣の種子島は極めて扁平で、最高でも300mありません。
これはずっと疑問だったのですが、今回氷解。

このあたりの島はフィリピン海プレートの沈み込みによる付加体で、東から順に種子島、屋久島、口永良部島と並んでいます。
マグマはプレートの沈み込みから少し進んだところで発生するので、口永良部島は火山となっています。
そしてその中間にある屋久島にもマグマが上昇して貫入し、花崗岩の塊になっています。
つまり、屋久島は花崗岩の塊の山ということらしいです。

花崗岩の上の土壌は薄く、栄養にも乏しいので、植物にとっては厳しい環境です。
そのため、降水量は多いものの、杉の生長は遅く、その代わり長寿になるのだそうです。
そして、目が詰まり、腐りにくいので良材となります。

屋久杉というのはこうした環境で長生き期間育ったものをいい、特に杉として生物の種類が違うわけではありません。
屋久島では小さい杉は小杉と呼ばれています。

網1つのキーワードは「着生」で、倒木や切り株の上から木が生えてくる現象。
寄生とは違います。
土壌が薄いせいなのか、着床はとてもよく見ます。
中には、三大杉と呼ばれる、前の木の上に木が生え、その上に木が生えたものもあります。

これは夫婦杉と呼ばれる杉で、枝が隣の杉にくっついてしまっているものです。

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大きな杉は中が腐敗して空洞になっていることが多いし、屋久杉は変な形をしていることが多いです。
これは、長寿で変形しているということだけではなく、良い形をした者は切られてしまったということもあるようです。
かなり登ったところにも切り株があるんですよね。

大王杉とか屋久杉を見ながら登ります。
上のほうに行くと、巨大な屋久杉がどーん、どーんとあって迫力があります。

そしてゴールが縄文杉。
正確な樹齢はわからないものの、今見つかっている屋久杉で一番巨大なもの。
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ただし、遠目に見ることしかできません。
昔は近づいて触ったりできたそうです。
しかし、倒れた場合の危険性とか、縄文杉自体の保護のため、今は少し離れた展望台から見ることになっています。
さらに、展望台と屋久杉の間にいろいろ生えてきてしまって、余計見づらい。
世界遺産なのでいろいろ簡単ではないものの、伐採しようかという話になっているらしい。

ちなみに、屋久島登山中、ほとんど携帯電話は圏外ですが、縄文杉に着くと突然5Gの電波を拾います。

縄文杉登山、10時間、20kmと長丁場、帰りは結構疲れてきます。
ただ、少し怪しくなった程度で結局雨が降りませんでした。
登山用の雨具、今回も出番なしでした。

翌日バスで帰るとき、明るい時間に山を見ると、本当に岩の塊といった感じです。
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船に乗る前、大川の滝(おおこのたき)を見に行きました。
これは、島の大部分を占める花崗岩ができた際、その周辺が熱変成して島を囲むようにホルンフェルスが形成され、これが固い岩盤のため、できた滝とのこと。
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地学の教材みたいですよね。

ちなみに、2年半ぶりの島旅で、ついに日本の大きい島17(上位20位のうち、択捉島、国後島、色丹島の3等をのぞいたもの)を達成しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
あと屋久島を残した段階でコロナ禍になってしまって旅行に行けなくなってしまったんですよね。
感慨深いです。
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宮古花巻旅行 [旅・出張]

新型コロナウイルス感染症前の徳島旅行以来、久し振りに旅行してきました。
第7波が迫る中で。

どこへ行こうかは悩みました。
飛行機で遠くに、とも考えたものの、体力も落ちまくっているのでハードな旅ではなく、鉄道でのんびりと行くことにしました。

東北新幹線も久し振り、東北新幹線のeチケットは初めて。
東北でも強い雨が降ったために新幹線はやや遅れ、盛岡での乗り換えに間に合うかひやっとしました。

山田線、北上山地を越えていくので、両側に木が生い茂り、所々でばしっ、ばしっと列車に枝が当たり、登山ロープウェイかと思うほどでした。

宮古には夕方に着き、1泊して翌朝は浄土ヶ浜へ。
やはり天気が悪い。
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シートピアなあどで食事をして宮古駅に戻りました。
この連休は遊覧船宮古うみねこ丸が就航するとのことで色々なイベントが予定されていたようですが、
一日目は雨で中止、この日も初の就航予定が終日運航取りやめとなりました。

宮古からは三陸鉄道で釜石まで南下。
この区間は2011年の震災持はJR山田線でしたが、2019年に三陸鉄道に移管され、リアス遷都して復活しました。
三陸鉄道、北リアス線、南リアス線は乗ったことがあるので、これで全線制覇となりました。
楽しい鉄道だけど、乗っていた人は観光客中心。うーん。

車窓からの風景も考えさせられるものがあります。
かつて震災後に北リアス線、南リアス線に乗ったときの、工事ばかりしている状況とは違います。
海には壁のような防潮堤が建てられ、とても立派な道路が走り、河口には全て巨大な堰が立てられています。
どれも建築物としては巨大ですが画一的。
震災対応とは言え、何十年に一度の震災のためにこの風景なのかなとは思いました。
河口の低地には何も建っていない、という景色も独特です。
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釜石でJR釜石線に乗り換え、花巻へ。
花巻、駅から街が離れているのですね。

最終日は晴れ。
花巻と言えば、宮澤賢治推しで、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、花巻市博物館と見てきました。
ちょうど仏教の勉強をしているところなので、宮沢賢治が日蓮宗に傾倒していた話など、興味深いところでした。
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帰りは新花巻から新幹線で。
東北新幹線、窓側だけではなく全席にコンセントがありますね。
以前はそうじゃなかった気が。
また、車内販売は縮小されて、弁当もホットコーヒーもありませんでした。
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今回は鉄道とバスの旅で、ローカル線なので何かと制約があり、1~2時間の乗り換え町がしょっちゅうありました。
本を読んだり、ぼけっとしたり、そうした時間を過ごすことが、普段と違う非日常だなと改めて思いました。
旅先で言葉を交わした人達もそれぞれ印象的です。
旅行ってこんな感じでしたね。
リハビリ中です。
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(旅に行けないので)日本の島について [旅・出張]

NHKを見ていたら「ニッポン島旅」という番組があって、五島列島の福江島をやっていました。
資料館でしか見られなかったお祭りの様子など、また旅行をしたくなってきます。

一昨年2018年に、全都道府県庁所在地を制覇してから、日本の島を巡る旅を始めました。
日本の島の面積上位20に行って見ようというわけです。
雨男のせいでしばしば天候に阻まれつつも、行ける島としてはあと屋久島だけ、と王手をかけたところでこのコロナウイルスの自粛です。
一体いつ行けるのかわからないので、これまでの島をふりかえってみたいと思います。

なお、日本の島の面積順、といっても資料によって違いがあり、ここではWikipediaの情報を基にしています。

()は面積km2

■第1位 本州 (227,942)
(略)
住んでいる。実は世界第7位と大きな島。

■第2位 北海道 (77,984)
(略)

■第3位 九州 (36,782)
(略)

■第4位 四国 (18,298)
(略)

■第5位 択捉島 (3,167)
(略)行けないし。

■第6位 国後島 (1,489)
(略)行けないし。

■第7位 沖縄島 (1,207)
(略)沖縄島って言い方はあまり聞かないですね。

■第8位 佐渡島 (855)
沖縄島に次いで大きい島だが、全体が1つの市になっていて、人口は6万人弱と少なく、人口もばらけている感じ。
島というと狭隘な土地という印象があるが、中央部は平野になっていて、米どころの1つになっている。
島流しの歴史があるので実は文化の香りがあり、能舞台が随所にある。一方で、廃仏毀釈も激しかったという。
また、金山のおかげで栄えたので産業遺跡も面白い。
重伝建になっている宿根木も素晴らしいし、それ以外も立派な街並みが多く残っている。

はっきりしないが、どうも日本の上位20位の島のうち、珍しく海洋島だった可能性がある。


■第9位 奄美大島 (712)
これも大きな島だが、佐渡島と違って、鹿児島県内で天文館に次ぐと言われる名瀬という繁華街がある。
土地が狭いので、不動産屋を見ると東京とあまりかわらない家賃が表示されていたりする。
渡瀬線の南にあるので食性も含めて沖縄っぽいが、建物やお墓は本土っぽい折衷的な雰囲気。
山がちで海岸線は入り組んでいて、激しい波が洗う浜があれば、穏やかな浜もあって変化に富んでいる。

■第10位 対馬 (696)
これまた山がちで、ドライブしていてもトンネルばかりでちっとも海が見えない。
行った際はあまりにも韓国人が多く、海外旅行をしているみたいだった。
携帯電話も韓国の電波を拾ってしまってびっくりしたことも。
道路標識は日本語と韓国語の二か国語表示
平地がほとんどないので農業には適さず、古くから国境の街として貿易で栄えてきた。
平安時代の城跡や大戦時の砲台など、まだまだ観光地化されていない場所がたくさんある。

島の中心部に船越と呼ばれる細い場所がある。
船がショートカットするために陸を担いで渡ったという場所。
実は他の島でもこの「船越」という地名は見られる。

■第11位 淡路島 (593)
一番離島っぽくない、バスで行ける離島。
鉄道ではいけないが、実は昔島内に鉄道が通っていた。
街は離島っぽくないが、海は美しい。
また、辺境ではなく日本の歴史に古代から登場するところも離島っぽくない。

■第12位 天草下島 (575)
このくらいの大きさから、ようやく1日で観光しながら一周できる感じ。
離島っぽいが、橋を渡っていくと陸路で本土とつながっている。
ほとんどが天草市だが、一部だけ苓北町。これは苓北には火力発電所があることも理由らしい。そのため、電気の確保に苦労する離島、どころか熊本県内需要の6割を発電しているらしい。
隠れキリシタンの歴史が残り、崎津のように小さな漁村に教会が建つという不思議な景色を作っている。


■第13位 屋久島 (504)
行きたい!

■第14位 種子島 (444)
鹿児島県最高峰を有するとなりの屋久島と違って、最高地点で300mないのっぺりとした島。
鉄砲伝来の歴史があり、今はJAXAのロケット打ち上げ上があって見学できる。

■第15位 福江島 (326)
五島列島最大の島。
ここもキリスト教の教会が集落毎にあり、鍵もかかっておらず、勝手に見学することができる。
地形や海岸線は変化に富んでいて、静かな入江もある。
各地域に個性的な祭りもあり、再訪して五島列島の他の島にも是非行って見たい。


■第16位 西表島 (290)
他の上位20位の島はみんな1万人以上は住んでいるのに、西表島は3000人に満たないという極端に人口が少ない島。
マラリアの蔓延地域だったために人が住めなかった。
おかげで、賑やかな隣の石垣島と打って変わって、未だに道も島を一周しておらず、秘境感たっぷり。

■第17位 徳之島 (248)
奄美大島の南に位置するが、奄美大島と比較して地味な印象があり、観光地化されていない。
奄美大島以上にサトウキビの栽培が盛んで、闘牛が有名なので牛を鍛えるために散歩させている光景をしばしば見かける。
なぜか?出生率が高い子宝の島で、かつては教育に力を入れて東大にたくさん進学していたこともあったという。


■第18位 色丹島 (248)
行けないし。

■第19位 島後 (242)
隠岐は島後と島前という2つの地域に分かれていて、島後は島後島1つ。島前は中之島、西ノ島、知夫里島の3島を中心とした島々。諸島内、特に島前は頻繁なフェリーで簡単に島々を行き来できる。
ジオパークになっているとおり、島ならではの変化に富んだ地形を楽しめる。
海洋島だったが、氷河期に一瞬本土と地続きになっていたという変わった歴史もある。
西ノ島であれば、日本海側は断崖絶壁で白波が打ち寄せ、本土側の内海は穏やかで陸もなだらかで人口が集中する。
文化的にも神社が大変に多く、土俵があったりして面白い。一方、廃仏毀釈が激しかったために寺社は神社と比較して極端に少ない。

■第20位 天草上島 (226)
宇土半島と天草下島をつなぐ場所に位置していて、両方と橋でつながっている。
下島に比べて離島感には欠ける?
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徳之島旅行 [旅・出張]

例年の1月連休旅行、今年は鹿児島県徳之島。


鹿児島で1泊してから2日目の朝に徳之島到着。


ヨナマビーチに行くと早速天気が悪くなってきた。
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でも、海はきれいですね。

徳之島が他の島と違うかな、と思ったのは、走っている人(特に女性)と散歩させられている牛(特に牡)が多いことです。
女性の走りのフォームはダイエット目的でちょっと、という感じではなく、どうも合宿などできている人が多いようです。

ムシロ瀬と呼ばれる花崗岩が浸食された海岸に着くと、しっかり雨になりました。
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金見集落とソテツトンネル。
昔は集落の境界にソテツを植えていた名残だそうです。
天気が悪いせいか、他の観光客にほとんど会いません。
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畦プリンスビーチ海浜公園。
海はどこでもきれいです。
ただし、中国語の漂流物も見かけました。
足下を見ると、砂でなくて珊瑚でした。
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なごみの岬というところに来ると、かなりしっかりした慰霊碑があります。
太平洋末期に富山丸という船がこの沖で沈没して、3700名が亡くなったそうです。
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徳之島町立郷土資料館は図書館の上階。
明治から大正にかけて教育熱心だった地域で、とても東大出身者が多かったそうです。
今では鹿児島県の大学進学率は全国的に見ても低いのですけどね。
佐渡や隠岐と同様、廃仏毀釈もそれなりにあったようでう。

徳之島は闘牛で有名で、今でも盛り上がるのだそうです。
スペインの闘牛と違って、牛と牛が戦います。
戦意を失って逃げると負け。
徳之島なくさみ館には土俵があります。
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角の形によって得意技が異なるのだそうです。

伊仙町立歴史民俗資料館は13年前まで農業高校だった古い建物。
樽を抱えて開場時浮いて魚釣りをする漁や、サトウキビを搾る道具などの展示がありました。

サトウキビは島の中でも多いですね。
南西諸島では普通にサトウキビの栽培は見ますが、徳之島はもっとも生産量が多いのだそうです。
トラクターで刈っていて、山盛りに積んだトラックが走っています。
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夕暮れも近づいた頃、阿権集落と300年ガジュマル。
これといって観光地ともいえない集落です。
徳之島は川や渓谷も発達しているようでここは陸の孤島のような集落だったそうで、古い街並みが残ります。
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そして犬田布(いぬたぶ)岬。
ものすごい風でした。
夕陽の名所らしいですけれども、太陽、見えません。
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最後は犬の門蓋(いんのじょうふた)と呼ばれる奇岩。
ここも風と波がすごい。
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ここで一周終わり。
亀津に泊まってなかなかアツい夜でした。

翌日は買い物をして、空港のすぐ近くにあるウンブキと呼ばれる洞窟を覗いてから鹿児島経由で帰りました。
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鹿児島空港で乗り換え25分なのに、飛行機が20分遅れ、結構冷や冷やでした。
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八重山旅行 [旅・出張]

マイレージで2019年最後の旅行。

この年末年始は休みが長いこともあり、年末の四日で旅行をしようと思いたったものの、最近の傾向として、どこに行くのか考えてもまったく決まりません。
電車で行こうか、車で行こうか迷ってて、いや、飛行機でも良いかな、とある晩もパソコンに向かって航空会社のサイトの空席カレンダーをいじっていて、ふと下の方を見たら、なんと12/28に石垣に行き、12/31に戻ってくる便が空いているではないですか。

沖縄方面は人気があるせいか、特典航空券でとるのは難しいイメージがあります。
思わず二度見しつつも、すかさず予約して、離島旅行の鉄則として宿、レンタカーを押さえにかかりました。
これも大変でしたが、石垣島ではレンタカーを予約することができました。

改めて地図を見ると、日本最南端の八重山列島、石垣島は相当遠いです。
台湾に近く、鹿児島とマニラが同じくらいの距離。東京ははるか遠く。
台北より南にあり、緯度はホノルルと同じくらいと言います。

国内旅行であっても、北海道や沖縄は海外旅行のような雰囲気の違いを感じます。
今回は本当に海外旅行のようにも感じました。
気温も東京は一桁の気温で寒いのに、20度近く。全然年の瀬という感じがしないです。
日の出日の入りも東京と30分くらい時差があります。


■1日目 石垣島到着

羽田空港から午後に出発。
機内でアナウンスがあり、富士山がきれいに見えました。
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向かい風360km/hということで、国内線なのに4時間近くかかり、石垣空港に到着したときは真っ暗。

バスで街まで行ってホテルチェックイン、夜は3軒もはしごしてしまい、初日からハイペースです。

島なので海産物推しかと思いきや、「石垣牛」ののぼりが目立ちます。
牛を名物にする離島は多いですね。

石垣島は人口5万人程度と言いますが、イオンもドンキホーテもあり、コンビニもあり、繁華街も賑やかで若い人が多く、都市としての機能が充実しているが驚きです。

空港にはスターバックスもありました。



■2日目 雨の西表島

石垣島のホテルで目覚ましで起きると外は真っ暗。
日の出は7:30頃のようです。
東京とは日の出の時間が35分くらい違う。

石垣島は八重山列島のハブになっていて、離島ターミナルと呼ばれる船の乗り場は賑やかです。

今回の一番の目的は西表島で、西表島は(他にもいろいろないが)空港がないので石垣島を経由することになります。
最近は島旅に励んでいて、面積や人口の感覚が培われつつありますが、西表島はその大きさの割に人口が少なく2400人ちょっと。
もともとマラリアが蔓延していて人が住めなかったようです。
そのこともあり、現在でもほぼ全域が森林に覆われています。
特に内陸部は人が住んでいませんし、車が通れる道もありません。

島には外周一周道路というのがありがちですが、西表島の道は一周しておらず、西部の船浮地区は船でしか行けません。
なので、道と行っても東側の外周を走る道を行ったり来たりすることしか出来ず、交差点らしきものもなく、信号もほとんどありません。
ただし、イリオモテヤマネコなど野生動物に注意が必要なようです。


西表島には北の上原港と南の大原港があり、石垣港からは両方に船が出ています。
どちらかというと上原港の方が栄えているものの、冬はこちら側は欠航が多いようです。

さて今回は、空模様は怪しいものの、行きは無事上原港に行くことができました。
ただ、あまり大きな船ではなく、結構揺れました。
あと、石垣港には海上保安庁の巡視船がたくさん並んでいて、なかなか難しい状況であることを認識させられました。

そして、上陸時には本降りの雨に。

西表島はレンタカーが借りられなかったので、ツアーに参加しました。
クーラ川という小さな川をマングローブを見ながらカヌーでのぼり。膝下までの川を歩いてクーラ滝という滝を見てきました。
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昼にはこの時期の名物だというイノシシが入ったイノシシチャンプルー。
リュウキュウイノシシという、本土より少し小降りのイノシシだそうです。
豚肉に比べて、良く言えば弾力がある、悪く言えば固い。
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午後は雨の中、由布島という小さな島に渡りました。

由布島と西表島の間はとても浅く、水牛が引く車に乗って渡るのが定番になっています。かつては台湾から持ち込まれた水牛が八重山では活躍していたそうです。
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由布島は小さく低い島で、かつては蚊がいないこともあってそれなりに人が住んでいたものの、1969年(私が生まれた年ですね)、台風による高潮で水没して、ほぼ放棄されてしまったようです。
現在では植物園のようになっていて、ちょっとしたテーマパークのようになっています。
テーマパークのように入場料が必要です。

蝶が飼われている温室があり、オオゴマダラという大きな蝶が飛んでいます。
オオゴマダラのさなぎは黄金色だと書かれていて、どうせ黄色いだけだろうと思いつつ、一応見てみたら本当に金ぴかでした。
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ツアーの後はホテルに戻り引きこもり。
予定では、満天の星が見えるはずだったのに、雨でお預けです。
また来るしかないですね。

ホテルで以降の旅程を考え、最終日は朝帰る予定にしていましたが、島の旅、せっかくなのでいろいろ見たくなり、夜の便に変更してしまいました。


■3日目 雨の石垣島

西表島のホテルでまた暗い朝に起きると、降り続いた雨は起きてみると本降りになっていて、まるで本土の台風のよう。
(ここでの台風はもっとひどいことになるらしい)

やはり上原港からの船は欠航になっていたので、帰りは南の大原港まで行って石垣島に戻ることになってしまいました。

海が荒れていそうだったので念のため酔い止めを飲みました。
船に乗るとなぜか前方の席が封鎖されており、西表島に来る際に誰かが気分が悪くなって汚したためでした。
船に慣れていない人にはちょっと厳しそう。

この日は石垣島を一周することにしました。

石垣の中心部はたくさんファミリーマートもあるのに、街の外に出た瞬間、離島っぽくなり、コンビニどころか店すらほとんどありません。
この都市と田舎が共存しているところがこの島の魅力なのかも知れないです。

北部の島の幅が狭まったあたりにある玉取崎展望台、北端の平久保崎に行った際は一瞬天気が改善し、それなりに海が見えました。
島全体が珊瑚礁に覆われていて、珊瑚礁のエッジで白波が立っているのがよく見えます。
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サビチ洞という洞窟を見て、吹通川ヒルギ群落を見て、米原のヤエヤマヤシ群落を見てから、川平湾。
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ここはグラスボートが有名で、乗ってみました。
ただし、珊瑚はあるものの、魚や貝は隠岐の海士町のほうが圧巻だったかも。
なぜか海藻がまったく生えていないんですよね。
最後にディズニー映画で有名になったカクレクマノミを見ました。
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夕陽の名所だという島の西側の御神崎(おかんざき、うかんざき)まで遠回りしたものの、やっぱり雲しか見えない。西表島は見えましたが。
近いですね。
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ただ、この辺りは人が少ないせいか、ガードレールにカンムリワシらしき鳥が止まっているのを見ましたし、シロハラクイナという取が道を横断しているのもみました。
さらに、道に大きな鳥が数羽いて、何だと思ったら孔雀でした。
これはとてもびっくりしました。
もちろん、外来種です。

この日最後は唐人墓。
1852年、アメリカに運ばれる中国人苦力がひどい扱いに耐えかねて戦中で反乱を起こし、石垣島に上陸したものの、追跡され、多くが命を落としてしまったことを祀る墓です。
説明を見ると、1971年、つまり、返還前の琉球政府が、日中国交正常化前に現台湾政府と作った墓らしい。
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ちなみに翌1972年は沖縄返還、日中国交正常化、日本赤軍乱射事件となかなか激しい年だったのですね。

この日の夜は海産物の日にして、イラブチャー、マグロと食べまくり、さらにバーに行ったら地元に人達の話を聞く機会があり、大量に飲んでしまいました。


■4日目 竹富島

朝帰るはずだった最終日。
飛行機の便をずらして夜にしたので、竹富島まで行って見ました。
本当は日本最南端の波照間島も行きたかったのですけど、この日も終日風雨が強くて、帰れないと困るので、15分で行ける竹富島にしました。

重要伝統的建造物保存地区の街並みがあることも惹かれました。

揺れたものの15分の船旅はすぐで、竹富島の港から、石垣島にホテルが並んでいるのが見えます。

集落は島の中心部に集まっていて、港から10分ほど緩い坂道を登っていきます。
街並みは楽しめたものの、いくつかある施設は年末でほとんど閉まっており、喜宝院蒐集館の展示ぐらいしか覗けませんでした。
大晦日だから仕方ないですね。
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水牛車にのって集落をまわるのが定番のようですが、西表島で乗ったので自前の足に頼りました。
それでも1時間ほどで見終わってしまい、昼には石垣島に戻りました。

昼食をとり、いくつかの市内の見所を訪れたものの、やはり年末でほとんど閉まっており、天気も相変わらずなので空港にいって時間をつぶしてから帰りました。
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家に着いてテレビをつけると嵐が歌っていました。
一応国内とはいえ三泊四日、楽しかったけれどもさすがに疲れました。

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京都の1泊旅行 [旅・出張]

普段旅行は国内でも三連休で少なくとも2泊はしていますが、今回は土日1泊で京都に行ってきました。

もともとは京都国立博物館でやっている「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が会期末で見に行こうと思い、ついでに京都で見ていないところを見てみようと思ったのがきっかけです。

国内でもまだ行っていないところがたくさんあるので、同じところに繰り返し行くことはほとんどありませんが、京都は一時期働いていたこともあり、たまに行きたくなるところです。

土曜日に朝寝坊して家事を片付けていたら、出発は昼過ぎになってしまい、京都に着いたのは夕方。
早速京都国立博物館「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を見てから、紅葉のライトアップでも見ようかと永観堂に行ったら長蛇の列で締め切りになっていて、終了時刻を延長していた南禅寺を見てきました。
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先斗町に行けば予約でいっぱいの店ばかり。
宿を予約したときの値段から予感はしていたものの、秋の京都、恐るべし。

翌日の日曜日、東山エリアを見て帰ろうと哲学の道を通って、銀閣寺へ。
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ここに来たのは修学旅行以来かも知れません。

たまたま東求堂の拝観を行ってきて、見てきました。
義政が作った書院造りの原型があります。
違い棚など今の和室にほぼ近いものの、床の間はありません。
また、畳を敷き詰める、というのもここから始まったとのこと。
そして、北向きなのは読み書きをするときに強い光を避けるためとのことでした。
ただ、建物の商事や壁にカメムシがくっついているのが気になりました・・・。

さらに哲学の道を南下していくと、泉屋博古館の看板が出ていて、時間的に迷いましたが、結局見てしまいました。
泉屋博古館「花と鳥の四季 -住友コレクションの花鳥画」

前の晩にライトアップを見逃した永観堂。
きれいではあるもののまだ緑も残っているし、やっぱりライトアップの方が好きかな、と思いました。
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さらに南禅寺も再訪して昼間の紅葉を見ました。
しかし京都、いちいち拝観料がいて、それもそれなりの値段なので、千円札がどんどん減っていきます。
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最後は京都国立近代美術館「円山応挙から近代京都画壇へ」を見てから、遅い昼食をとり、京都駅から帰ろうと思ったところ、なんと2時間先まで満席。

スマートEXを使っていたので影響はなかったものの、緑の窓口も長蛇の列で、空席情報を示す電光掲示板も表示範囲の時間は全て満席という機能不全の状況。

駅の周りも混雑しているので、仕方なく?高台寺のライトアップを見て時間をつぶし、夜遅く帰りました。
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このところ多い離島の旅行に比べれば、京都は交通も便利で問題ないと思っていたら、なかなか苦戦しました。
ちょっと準備不足だったかも。

まあ、土日の1泊旅行も悪くないですね。
(また悪いことを覚えた。)



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種子島旅行 [旅・出張]

日本の島シリーズ、面積第14位の種子島。
11月の連休についに行ってきました。

ふりかえれば、種子島初挑戦の9月後半の連休は、鹿児島まで行ったものの台風のせいで海を渡れずに鹿児島旅行になってしまい、10月の連休は徳之島に行こうと思ったら台風首都圏直撃で今度は東京からすら出ることができませんでした。

鑑真のような気分になってきましたが、三度目の挑戦です。


マイレージの予約だったので早い時間がとれず、夕方に鹿児島入り。
さすがに台風シーズンではないだろうと思ったら、今度は桜島の噴煙で戻る可能性があるとの運行情報が・・・。
さらに夕方には薩摩硫黄島が噴火。

しかし、なんとか鹿児島到着。
知らなかったのですが、おはら祭というお祭りをやっていました。
先日も来て勝手知ったる鹿児島で飲んで、翌日は早起き。


西日本なので遅めの日の出の中、いよいよ鹿児島港から高速船で種子島に出発。
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島の北部の西之表港についに、ついに上陸。
まずは月窓亭。
明治維新後、将棋の羽生さんの先祖の家に、島を治めていた種子島家が住んでいたとのこと。
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奄美で見た島の家っぽい間取り。

続いて鉄砲館という博物館。
鉄砲に限らない、地学から生態系の展示があり、歴史の中で鉄砲伝来に触れられていました。
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ここから一気に南下し、JAXAの種子島宇宙センター。
ここは、世界一美しい発射場と言われているのだそうです。
海に面して緑が多く、広い。

ロケットガレージでは打ち上げが中止されたH2の7号機。
重量の9割は燃料だそうで、缶ジュースのようなものとのこと。
大型ロケット発射場ではバスの中からのみ。
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本当の発射、見てみたいですねえ。

宇宙科学技術館を見学してから近くの広田遺跡。
ここは弥生時代の墓地の跡らしいです。
なので、ちょっと殺風景です。
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これも、台風のせいで海岸が削られてみつかったものだそうです。
博物館が併設されていますが、ロケット発射時は周囲立ち入り禁止になるため、展示物を全て持ち出して待避するのだそうです。

帰りは雄龍・雌龍の岩を通り、
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天女ヶ倉展望台に日没直後に着きました。
まあ、一日だとこんな感じですよね。
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隣の屋久島と対照的に、種子島は平坦で、最も高いところで282.4mしかありません。


夕食はいろいろ聞いたことがない食べ物があって楽しめました。
伊勢エビはもちろん、セミ海老、草履海老と合ったので草履海老を注文。
食べられるところが少なかったものの、美味しい食べ物です。
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近くで飲んでいた地元の若者の話を聞いたり、楽しい夜でした。


これまでの2回がなんだったというくらい、(晴天ではなかったものの)天気に恵まれた中、島を後にしました。
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種子島に行こうとして鹿児島旅行 [旅・出張]

島シリーズの一環として、9月後半の連休、種子島を目指して、満を持して羽田空港に向かいました。

台風17号が近づいていて宮古島行きなど欠航はしていましたが、鹿児島行きはスケジュール通り。
着陸寸前は相当揺れたものの、無事に着陸しました。

ところが予約していた種子島までの高速船(水中翼船)は欠航してしまっており、
種子島行きの飛行機は飛んでいたものの、当然満席。
鹿児島で足止めを食ってしまいました。

仕方がないので空港のロビーでネットにつないでレンタカーやホテルを片っ端からキャンセルし、新たに鹿児島のホテルを予約。
一仕事して空港で昼食をとりました。

鹿児島は前に観光したことがあるし、種子島に行くつもりだったので鹿児島のガイドブックは持っていないし、どうやって過ごすかは悩ましい。
ホテルに荷物を置き、町でガイドブックを買って、とりあえずこの日は桜島にフェリーで渡ってみました。
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夜になると台風が近づいて風雨が強まってきました。

翌朝は台風最接近なので、遠出は諦め、(一度まわったことがある)市内観光。
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行っていないところに行こうということで、いおワールド鹿児島水族館を見て、鹿児島市立美術館を見て、前にも来た鹿児島県立美術館を見て、黎明館に行きました。
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黎明館は初めて。
館内は広く、展示も歴史、民俗、芸術まで幅広く、なぜか?人が少なかったのでゆっくり見られました。
鹿児島の歴史となると、いかに維新に貢献したかという話になってしまいますが、負の歴史とも言える廃仏毀釈にも触れられていたことが印象的でした。

夜になると風雨は落ち着いてきたので、さらっと飲んでホテルに帰りました。

そして最終日。
台風一過の快晴。
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レンタカーを借り、指宿のあたりまで海岸沿いをドライブしてきました。
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種子島、次回こそ。



と書いている今日も、徳之島に出発するはずだったのに、台風19号のせいで自宅軟禁です。
日本の秋の旅行は難しいですね。



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