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茨城旅行 [旅・出張]

年末に1泊2日で茨城をドライブしてきました。

どこに旅行に行くかは普段でも悩むのに、年末はいろいろな施設が閉まっているし、当然タイミングを考えないとこむのでさらに悩みます。

ということで茨城県。
あまりガイドブックになるような場所でもなく、ぽつぽつと行ったところはあるものの、真面目に?観光したこともないところです。

まず初日は一番遠くまで、ということで袋田の滝へ。
高速道路からもさらに下道を走って着く、なかなか奥まったところです。
カーブがきつい山道を越えて、ということではないんですけどね。
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滝なので見るのはただ、と思いきや、観瀑用の有料トンネルというのがあって、ここを通って行くと滝の前や横に出ることができます。
滝は4段の階段状になっていて、不思議な形です。
冬になると凍るようですが、少し氷が貼り付いている程度でした。
この滝はかつての海底火山の噴火でできた硬い岩が地形変化で斜めの岩盤になっているためにできているとのことでした。

その後、水戸で1泊。
夕食をとった店では、東日本大震災で水戸もかなりの被害を受けたとのことでした。
水戸の街の西側に位置する千波湖という湖、実はかつてはもっと東側まで拡がっていて、そこを埋め立てているので街の中に地盤が弱いところがあるそうです。

翌日は朝、水戸の街を歩いてみました。
水戸の街は千波湖の北の丘というか丘陵地に拡がっています。
歩いてみると、駅からちょっと離れたところに京成百貨店があったり、その間にぱらぱらと飲食店やマンションがあって、つかみ所が無い感じです。
古くて閉まっている建物もあれば、再開発らしき新しい建物もできています。

街の北部は東から本丸、二の丸、三の丸と水戸城の跡が残っています。
三の丸の跡は旧県庁と図書館として使われています。
県庁は移転したものの、まだ三の丸庁舎として残ってはいるようです。
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大手門をくぐって二の丸に進むともっと落ち着いた雰囲気となり、幼稚園や中学校があります。
その奥には県立高校。
そして最後の本丸も県立高校。
県立高校が隣接しているのは不思議ですね。1つの高校にしてしまえば良いのに。

水戸は幕末に水戸学の本拠地。幕末に尊皇攘夷思想が強かった地域です。
明治維新につながる各地の藩校では「国学」が幅をきかせ、国学では「後に」入ってきた仏教より神道を重視するため、廃仏毀釈につながりやすい傾向があるようです。
水戸藩は維新前、日本で最も早い時期に廃仏毀釈を始めており、第2代光圀が寺院整理を行い、第9代斉昭が仏教の排斥を行っています。
今街を歩いていても寺より神社が目立つ印象があります。

そして昭和の時代には、終戦直前の1945年8月2日に空襲を受け、水戸城の三階櫓や当時の市役所も焼失しています。
駅から少し離れたときに、その時空襲を受けたものの生き延びた銀杏の木が残っています。
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さらに東日本大震災。
東日本大震災というと三陸の津波のイメージがあるものの、それよりもずっと広い地域で被害がありました。
水戸でも前述のように建物の被害があり、水戸市役所も被害を受けて半壊、移転を余儀なくされたそうです。

出張では何度も来たことがあった水戸の街、歩いてみて、そして調べてみると色々な発見があります。

昼食は那珂湊まで行って魚市場で。
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ここはすごい人出で、買い物をした人が発泡スチロールの箱を抱えて次々と出てきます。
年末のアメ横のような感じなのでしょうか。年末のアメ横は行ったことがありませんが。
ここで撮れた魚介類という感じではないですよね。チリ産のウニとかもありました。
ただ、ドンコや鰯、カレイといった地元らしき魚は安かったです。
茨城の郷土料理だという、アンコウの共酢を買いました。

続いて川を渡って、アクアワールド茨城県大洗水族館。
鰯の大群が泳ぐのが面白く、海沿いの立地も良いですね。
サメで有名なのだそうです。
大晦日なのに、大晦日だから?子供がたくさんいました。
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最後は霞ヶ浦まで走り、牛久大仏。
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突然現れる巨大な大仏、全長120m。
B級スポットの雰囲気プンプンですが、これは浄土真宗の施設で、親鸞が常陸国とゆかりがあるということでこの地にできたもののようです。
中に入って胸のあたりの高さから外を見ることができますが、あいにく富士山は見えませんでした。
そのほか、周りに何も無いし・・・。

ここで2022年最後の旅行はおしまい。
自宅に帰って紅白を見ました。
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静嘉堂文庫美術館「 響きあう名宝 ―曜変・琳派のかがやき―」 [芸術]

二子玉川にあった静嘉堂文庫美術館の展示ギャラリーが丸の内に移転したとのことで行ってきました。
https://www.seikado.or.jp/exhibition/current_exhibition/

テレビで開館記念展をやっているのを見て行こうとしたら既にチケット取れず。
諦めずに日々チケット予約を眺めていたところ、1つだけ空きが出た瞬間に予約。
会期末ギリギリで行ってきました。

展示は大きく、名宝、中国文化、琳派、曜変天目と分かれていて、入るなり予約制なのに混んでいるので、
目当ての琳派に直行したあと、全体を見て回りました。

展示替えがあって、国宝の俵屋宗達「源氏物語関屋澪標図屛風」は見られなかったけれども、六曲一双の酒井抱一「波図屏風」 を見られたので、満足しました。
尾形光琳の金より酒井抱一の銀の方が好きですね。

本阿弥光悦「草木摺絵新古今集和歌巻」は地味に良かったです。
短歌や書はよくわからないのですけれど。

中国の馬遠、牧谿、沈南蘋の絵もさっと見て、最後は曜変天目を見ました。
曜変天目、人垣が出ていました。
二子玉川で見たときはぽつんと置かれていて、これすごいの?という感じでしたが・・・。
照明の具合もあるのかキラキラ輝いていて、きれいでした。
でも、あの釣り糸みたいなもので固定するのはなんとかならないものですかね。

在宅勤務が中心となり、会社にも毎日行かないし、ましてや丸の内なんて久し振り。
明るくてきれいで良いですね。
昔、大手町で働いていた頃とかをちょっと思い出したりします。
ここで働けたら良いですね。
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法隆寺金堂壁画 [旅・出張]

法隆寺の金堂壁画を見に奈良に行ってきました。日帰りで(涙)。

クラウドファンディングで保存に寄付すると30分見せてくれる、というものです。

法隆寺金堂壁画は法隆寺そのものと同様に正確な時期はわからないものの、7-8世紀と推定されるとても貴重なもの。
しかし、金堂の解体修理を行っていた1949年に火災が発生してしまいました。
その焼損した壁画は保存されており、それを30分ほど見せてくれるというのです。

温度湿度が管理された収蔵庫に入り、現物を見て驚いたのは、焼損した壁画が並べられているのではなく、
焼けた金堂内部の建材と共に組み上げ直され、あたかも金堂内部のように復元されていたことです。

内部の柱は内側表面がかなり炭化していて火事の現場のような生々しさですが、表面以外は焼け残っているようであり、特に外側は全く焼けていません。
「金堂で火災」といっても、全体が燃えたのでは無く、何らかの原因で内部で発火し、内側が燃えたということのようです。
構造を残していることから、このまま部材を使って復元しようという意見もあったそうですが、現在の金堂の内部は新に作り直したものとなっています。

ということで、焼けた部材で一部鋼材で支えられているものの復元された金堂内部に12面の金堂壁画が配置されています。
これまた焼けて無くなったというのではなく、かなりはっきりと臨閣が残されており、何が書いてあるかわかります。
焼けたことで、色などが失われているようです。
また、大きく欠損している部分は、外部から穴を開けて消火活動したためとのことでした。

なお、金堂内部にはこの12面の壁画の他、上部に山中羅漢図18面、飛天図20面がありました。
山中羅漢図は跡形もなく崩壊して破片しか残っていないものの(恐らく上に炎が拡がったため)、飛天図は解体工事のために取り外されていたためにそのまま残っています。
飛天図は1面だけ公開されていますが、実は全部飛天が左上から飛んでいる同じ絵だということを知りました。
なので、1面だけ公開されているのかも。

今は金堂内部には入れないので、本物ではなくレプリカでも金堂内部を復元したら面白いと思うのですよね。
莫高窟にもそんな展示がありました。


さて、奈良の日帰りはなかなか弾丸でした。
法隆寺の滞在時間は2時間弱、金堂壁画の他は五重塔の塑像、金堂の釈迦三尊像、大講堂、救世観世音菩薩をぱぱっと見る位しか時間がありませんでした。
ただ、救世観世音菩薩はたまたま公開していたので初めて見ることができたのはよかったです。

奈良、一度ゆっくり再訪したいところです。
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旧赤星邸 [日常]

今住んでいる家の近く、成蹊大学の前の五日市街道に面した広い敷地にコンクリートの壁で囲われた大きな屋敷が昔からありました。教会?修道会?らしき建物がありました。

さて、日本のバス釣りは、実業家の赤星鉄馬氏が、釣ってよし食べてよしの魚として、ラージマウスバスとスモールマウスバスを芦ノ湖に移入したところから始まります。
スモールマウスバスは定着せず、ラージマウスバスが「ブラックバス」として定着しました。

この2つの話が1つになったのは最近の話で、なんとこの近所の大きなお屋敷は、赤星鉄馬さんのお屋敷だったというのです。
その後修道会として使われていたものの役割を終え、武蔵野市に寄贈されて登録文化財になる見込みということで見学会があったので行ってきました。

申し込んだら案内が来たので、そんなものかと思いましたが、実際には10倍くらいの競争率だったらしい。

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コンクリートで巡らされた塀の中に入ると建物があります。
この建物は1934年にアントニン・レーモンドの設計により建てられた建物です。

赤星鉄馬は今で言う六本木に自宅があったが、関東大震災で半壊したため、「カントリーハウス」として所有していたこの土地に引っ越してきて建てたのがこの建物。

アントニン・レーモンドはフランク・ロイド・ライトの助手として帝国ホテル建設に関与した人物として知られており、戦時中はアメリカで、日本の家屋を焼き尽くすための焼夷弾の開発に協力した人物。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89


戦後この建物はGHQに接収された後、カトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会によってシスターの養成機関として使われてきましたが、2011年に最後の一人が巣立ち、閉鎖することになり、武蔵野市が所有することとなった。

建物は空き家なのであっさりしたもので、作り付けの家具が残されているものの、廃校のような感じ。
ドアや引手の位置が妙に低いのが時代を感じます。
今後耐震補強工事などを経て、5年後の2027年に一般公開される予定とのこと。
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屋久島旅行 [旅・出張]

3連休、屋久島に行ってきました。

2回続く3連休、本当は最初の連休で行くはずが、まさかの台風直撃(仕方なく千葉に釣りに行った)。
ばたばたと予定変更して2回目の3連休でようやく行けました。
国内旅行、秋は台風に振り回されますね。

前回飛行機に乗ったのは2020年1月の徳之島旅行、飛行機に乗るのは2年半ぶりということになります。
スマートフォンも変わっているのでアプリにログインし直したり慎重に準備。
空港にも1時間前に着きました。

今回は登山があるのでリュックサックなどの荷物があり、珍しく手荷物を預けました。
羽田空港第1ターミナル、無人の手荷物預け機があるのですが、うまくいかず結局有人カウンター。
時間をロスしたものの、出発して鹿児島空港、バスで港に到着。
この看板を見ると九州に来た感じがします。
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高速船で種子島経由で屋久島の安房港。
到着したのは18:00過ぎにもかかわらず、西に来たのでまだ日没直後で薄明るい。
しかし、すぐに暗くなってしまい、ターミナルも入口が閉じられてしまい、バスが来るまでちょっと不安でした。

バスで真っ暗な中を走って宿へ。
夕食をとって翌朝に供えて早寝です。

翌朝、朝食と昼食を準備して屋久杉ツアーへ。
夜明け前からバスで登山口へ。
バスを降りた登山口で朝食をとると夜明け。6:00出発。

屋久杉登山の前半は、トロッコの線路をひたすら歩きます。
このトロッコは、世界遺産になるより前、杉の伐採が行われていたときのものですが、実はまだたまに走っているそうです。
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トロッコの線路は何か所か川を渡っており、手すりがないところもあって怖いです。
川の水はきれいで、大きな岩がゴロゴロしています。
これは花崗岩らしい。
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屋久島は高い山が並んでいます。
どれくらい高いかというと、鹿児島県の最高峰は屋久島にあります。
というか、九州の最高峰は屋久島にあります。
さらに、九州の高い山の1-8位は屋久島にあるそうです。
(「山」の解釈の違いで、島外では1-7位ともいう)

一方、隣の種子島は極めて扁平で、最高でも300mありません。
これはずっと疑問だったのですが、今回氷解。

このあたりの島はフィリピン海プレートの沈み込みによる付加体で、東から順に種子島、屋久島、口永良部島と並んでいます。
マグマはプレートの沈み込みから少し進んだところで発生するので、口永良部島は火山となっています。
そしてその中間にある屋久島にもマグマが上昇して貫入し、花崗岩の塊になっています。
つまり、屋久島は花崗岩の塊の山ということらしいです。

花崗岩の上の土壌は薄く、栄養にも乏しいので、植物にとっては厳しい環境です。
そのため、降水量は多いものの、杉の生長は遅く、その代わり長寿になるのだそうです。
そして、目が詰まり、腐りにくいので良材となります。

屋久杉というのはこうした環境で長生き期間育ったものをいい、特に杉として生物の種類が違うわけではありません。
屋久島では小さい杉は小杉と呼ばれています。

網1つのキーワードは「着生」で、倒木や切り株の上から木が生えてくる現象。
寄生とは違います。
土壌が薄いせいなのか、着床はとてもよく見ます。
中には、三大杉と呼ばれる、前の木の上に木が生え、その上に木が生えたものもあります。

これは夫婦杉と呼ばれる杉で、枝が隣の杉にくっついてしまっているものです。

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大きな杉は中が腐敗して空洞になっていることが多いし、屋久杉は変な形をしていることが多いです。
これは、長寿で変形しているということだけではなく、良い形をした者は切られてしまったということもあるようです。
かなり登ったところにも切り株があるんですよね。

大王杉とか屋久杉を見ながら登ります。
上のほうに行くと、巨大な屋久杉がどーん、どーんとあって迫力があります。

そしてゴールが縄文杉。
正確な樹齢はわからないものの、今見つかっている屋久杉で一番巨大なもの。
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ただし、遠目に見ることしかできません。
昔は近づいて触ったりできたそうです。
しかし、倒れた場合の危険性とか、縄文杉自体の保護のため、今は少し離れた展望台から見ることになっています。
さらに、展望台と屋久杉の間にいろいろ生えてきてしまって、余計見づらい。
世界遺産なのでいろいろ簡単ではないものの、伐採しようかという話になっているらしい。

ちなみに、屋久島登山中、ほとんど携帯電話は圏外ですが、縄文杉に着くと突然5Gの電波を拾います。

縄文杉登山、10時間、20kmと長丁場、帰りは結構疲れてきます。
ただ、少し怪しくなった程度で結局雨が降りませんでした。
登山用の雨具、今回も出番なしでした。

翌日バスで帰るとき、明るい時間に山を見ると、本当に岩の塊といった感じです。
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船に乗る前、大川の滝(おおこのたき)を見に行きました。
これは、島の大部分を占める花崗岩ができた際、その周辺が熱変成して島を囲むようにホルンフェルスが形成され、これが固い岩盤のため、できた滝とのこと。
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地学の教材みたいですよね。

ちなみに、2年半ぶりの島旅で、ついに日本の大きい島17(上位20位のうち、択捉島、国後島、色丹島の3等をのぞいたもの)を達成しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
あと屋久島を残した段階でコロナ禍になってしまって旅行に行けなくなってしまったんですよね。
感慨深いです。
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湖にダイブ [魚釣り]

コロナ禍になってから週末は魚釣りの生活です。
なので、釣りに行くのはニュースでも何でもなく、大きな魚が釣れればニュースにもなるでしょうが・・・釣れません。

ところが、今回はなんと落水してしまって、これはニュースです。
岸から湖に落ちたことは子供の時1回、大人になって1回あったものの、ボートから落ちたのは初めてです。

ボートの上で座ろうとしたところ、エレキのバッテリー(自動車のバッテリーのような思いやつ)や荷物が不用意にも左に寄っていて、座るときもちょっと左に寄って座ってしまったら、船が予想以上に左に大きく傾き、あっ!と思ったら空が大きく回転して、次の瞬間は水中から空を見ていました・・・。



ライフジャケットは当然つけていたので膨張して浮き上がり、ボートの船尾に回って這い上がりました。
夏なので寒いこともなかったのも幸いで、水が冷たい時期なら命に関わりますよね。
でも、かけていたサングラスは水没。そして、ポケットに貼っていた携帯電話もしばらくしてお亡くなりになりました。
車の電子キーは無事。これはこれまでに2回くらい間違って選択したことがあるけれど、びくともしませんでした。

近く、というかちょっと遠くにいたボートの釣り人には、「大丈夫ですかー!」と声をかけてもらいました。


仕方ないのでもう2匹だけ釣って(←すぐ帰れよ)家に戻り、ドコモショップに行って相談しました。
結局代替機を購入することになったのですが、なんと夕方にドコモショップに行ったら、翌日の午前中に家に端末が届くのです。
AndroidなのでGoogleアカウントを入力すればほぼ元通りに復旧しました。
アプリそれぞれの設定はしなければならないものの、まるで携帯電話を壊したことがなかったように普通の生活に戻りました。

携帯電話が重要なインフラになっているのは先日のKDDIの事故でも意識させられましたが、この対応はすごいと思いました。

まあ、ここ最近、スマートフォンの重要性が格段に増していることは思い知らされました。
いちいち現金で支払うのは本当に面倒だし(しかも、なぜかお札と硬貨が湿っている・・・)、ではPCで何かやろうとしても最近二要素認証が多いのです。
新しい携帯電話を起動するために必要なGoogleアカウントのパスワード、二要素認証が必要なクラウドなんかに保存していたら大変でした。

ということで、皆さんも、水の事故にはお気をつけ下さい。




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宮古花巻旅行 [旅・出張]

新型コロナウイルス感染症前の徳島旅行以来、久し振りに旅行してきました。
第7波が迫る中で。

どこへ行こうかは悩みました。
飛行機で遠くに、とも考えたものの、体力も落ちまくっているのでハードな旅ではなく、鉄道でのんびりと行くことにしました。

東北新幹線も久し振り、東北新幹線のeチケットは初めて。
東北でも強い雨が降ったために新幹線はやや遅れ、盛岡での乗り換えに間に合うかひやっとしました。

山田線、北上山地を越えていくので、両側に木が生い茂り、所々でばしっ、ばしっと列車に枝が当たり、登山ロープウェイかと思うほどでした。

宮古には夕方に着き、1泊して翌朝は浄土ヶ浜へ。
やはり天気が悪い。
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シートピアなあどで食事をして宮古駅に戻りました。
この連休は遊覧船宮古うみねこ丸が就航するとのことで色々なイベントが予定されていたようですが、
一日目は雨で中止、この日も初の就航予定が終日運航取りやめとなりました。

宮古からは三陸鉄道で釜石まで南下。
この区間は2011年の震災持はJR山田線でしたが、2019年に三陸鉄道に移管され、リアス遷都して復活しました。
三陸鉄道、北リアス線、南リアス線は乗ったことがあるので、これで全線制覇となりました。
楽しい鉄道だけど、乗っていた人は観光客中心。うーん。

車窓からの風景も考えさせられるものがあります。
かつて震災後に北リアス線、南リアス線に乗ったときの、工事ばかりしている状況とは違います。
海には壁のような防潮堤が建てられ、とても立派な道路が走り、河口には全て巨大な堰が立てられています。
どれも建築物としては巨大ですが画一的。
震災対応とは言え、何十年に一度の震災のためにこの風景なのかなとは思いました。
河口の低地には何も建っていない、という景色も独特です。
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釜石でJR釜石線に乗り換え、花巻へ。
花巻、駅から街が離れているのですね。

最終日は晴れ。
花巻と言えば、宮澤賢治推しで、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、花巻市博物館と見てきました。
ちょうど仏教の勉強をしているところなので、宮沢賢治が日蓮宗に傾倒していた話など、興味深いところでした。
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帰りは新花巻から新幹線で。
東北新幹線、窓側だけではなく全席にコンセントがありますね。
以前はそうじゃなかった気が。
また、車内販売は縮小されて、弁当もホットコーヒーもありませんでした。
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今回は鉄道とバスの旅で、ローカル線なので何かと制約があり、1~2時間の乗り換え町がしょっちゅうありました。
本を読んだり、ぼけっとしたり、そうした時間を過ごすことが、普段と違う非日常だなと改めて思いました。
旅先で言葉を交わした人達もそれぞれ印象的です。
旅行ってこんな感じでしたね。
リハビリ中です。
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根津美術館「鈴木其一 夏秋渓流図屏風」 [芸術]

最近魚釣りにかまけていましたが、寒くなったし、何よりも忙しくなって行けなくなったので、久し振りに美術館に行ってきました。
もしかして、美術館、1月に行って以来かも。

琳派というとその名の通り尾形光琳が有名です。
しかし、他にも魅力的な絵師はいて、光琳より前の時代の俵屋宗達や、光琳の後、江戸の酒井抱一のほうが好きだったりします。
そして酒井抱一の弟子であった鈴木其一。知名度こそ宗達や光琳に譲るものの、外れがないし、素晴らしい。
もっと人気があってもいいと思うんですけどね。


https://artexhibition.jp/topics/news/20211102-AEJ553950/
https://eclat.hpplus.jp/article/78610/02/

今回の展覧会は、文字通り、代表作である夏秋渓流図屏風に焦点を当てたもの。
教科書にも出て来る絵なのに、2020年に其一の作品としてはじめて重要文化財に指定されたそうです。

この夏秋渓流図屏風が琳派や応挙、狩野派や谷文晁の影響をどのように受けているか、
さらには其一自身の作品の中でどのように位置づけられているのかを丁寧に解説されていました。
展示されている絵もこれくらいの量がじっくり見られて良いですね。

以下、気になった作品です。

酒井抱一「青楓朱楓図屏風」
鈴木其一の師匠にして、江戸琳派の創始者である酒井抱一。
紅梅白梅図と同じように対称が強調されている構図。
ただし、青楓朱楓図については、かつて久留米の石橋美術館にあり、現在アーティゾン美術館にある池田孤邨のバージョンのほうが表装も含めて好きかも知れないです。

酒井抱一「夏秋草図屏風」
これは何度も見ている有名な絵で、好きなものの一つ。重要文化財。
これを見られただけでもうかなり満足してしまいます。
有名な話ではありますが、もともと光琳の風神雷神図の裏に描かれていたもの。
風神に風に吹かれる秋の草が対応し、雷神に雨に濡れる夏草が対応しているのですね。
紺と灰色の色の組み合わせも良い感じです。

鈴木其一「夏秋渓流図屏風」
これが今回の主役、大きな絵です。
この絵で、なぜ檜なのか、水が中央に集まって流れてきているのか、そしてなぜ檜に蝉が止まっているのかがこれまでの絵で説明されています。


鈴木其一「桜花返咲き図扇面」
赤系の色で扇面にまとめられた絵。
小粒ながら気に入りました。

鈴木其一「楓に芍薬図」
芍薬に蝶が止まっている。
芍薬は左下に配されて、止まっている蝶が真ん中に来ている。
日本絵画って構図が良いですよね。

鈴木其一「秋草・波に月図屏風」
これもなかなかうならせる。立てて表裏見えるように展示されていました。
秋の七草が右下から左上に昇るように配置されています。
其一の朝顔の青と葛の花のピンクも印象的。
そして、裏はあっさりと波と月が金泥のみで書かれているのですが、この月が表の秋草の葛の花の後ろからうっすらと見えるのですよ。

鈴木其一「群鶴図屏風」
これは好きと言うより、今のポスターにあっても何の違和感もない、現代的な絵だなと思って感心しました。

図録を買って帰って解説を読んでいると、其一もやっぱり海外に流出している作品が多い様子。
アメリカ行きたいな・・・日本美術見に。
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5Gスマートフォン [日常]

5Gスマートフォンデビューしてみました。

というか、次の機種変更は5Gだと頃合いを図っていました。
まあ、エリアの展開予定を見てもまだ当分なので、機種変更ももう当分と思っていました。

ところが、最近持っていたスマートフォン、Xperia Performance (SO-04H)、ケースが開いているのを発見。
おかしいなあ、と思ってぐっとはめたものの、しばらく経つとまた開いている。
それどころか、日に日に開き方が目立つように・・・。

これは電池の膨張で何だか危険な気がするので、ドコモショップに行ったところ、
「もう5年なのdで修理もできるかも知れませんが。」
その場で機種変更することになりました。
そんな予感はあったものの。

5年って、長い方なんですね。
3年くらいで機種変更する人が多いとか。

どの機首がと調べる余裕もなくその場で決め、家に一旦戻ってパスワードを調べ、Xperia 5 II SO-52Aに機種変更。
端末代は一括払いしても分割払いしても総額は変わらないと言うことで分割に。
これまでの機種変更よりスムーズになっているとは言え、3時間もかかりました。
いちいちアプリにログインし直さなければならないし、

機種変更すると、以前の端末はメモリ不足でまともに動かなかったので、快適そのもの。
問題の電池も大違い。
毎日夕方にはほとんど電池容量がなくなりかけていたのに、今のところ、一週間に1,2回充電すれば十分な感じ。
まあ、平日は外に出ないし、スマートフォン自体あまり使わないこともありますが。

あと、最近の端末は縦に細長いのですね。
Androidのバージョンも8から11にとんだので、操作方法も研究中です。

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島泰三「魚食の人類史」 [読書(教養書・実用書)]


魚食の人類史: 出アフリカから日本列島へ (NHK BOOKS)

魚食の人類史: 出アフリカから日本列島へ (NHK BOOKS)

  • 作者: 泰三, 島
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2020/07/27
  • メディア: 単行本



日本人が普段当たり前のように食べている魚。
しかし、霊長類の食べ物として考えるとかなり特殊なものだそうです。

猿は魚を食べない。
カニクイザルのようにカニを食べる種があったり、貝を食べることがあっても魚は食べない。
これまで猿が魚を食べたことが観察されたのは飼育下とかたまたま打ち上げられた魚があったとか特殊な例に限られる。
猿は雑食で種によって食べるものが異なるけれども、共通しているものは果物。

では、なぜホモ・サピエンスは魚を食べるのか?

ホモ・サピエンスが現れたときには、すでに地球上には既にホモ・エレクツスやホモ・ネアンデルターロンシス(ネアンデルタール人)がいました。
類人猿から進化した人類は強力になり、生態系の頂点に立っていました。
ネアンデルタール人はライオンさえ主要な食料にしていたほどで、ホモ・サピエンスより身体が大きく、握力も強かったとことが知られています。

そうした中で、身体が華奢なホモ・サピエンスはどうしたか。
水辺で食料を獲るという生態系のニッチを見いだしたのではないか、と。

最後の氷河期で気候が激変する中でも、肉食獣を追い求めたネアンデルタール人は絶滅した一方、食べ物の幅が広いホモ・サピエンスは生き残ることができました。

ホモ・サピエンスのヨードの必要量は、肉や野菜を食べるだけではとても補えず、魚介類なしには成立しないものであるそうです。
これも長い間、魚介類と植物性の食事を続けて私たちの身体が進化してきたことを示しているのではないか、と。

考えてみれば、これほど皆が肉を食べる生活、さらには穀類を中心とした食生活を始めたのは人類の歴史の中ではつい最近のことです。

牛乳を飲むというのも特殊な習慣。多くの哺乳類は離乳すると乳糖を消化できなくなっていくので、大人になっても乳糖耐性な方が特殊。インド・ヨーロッパ系の人の特徴でもあるそうです。

よく、魚と野菜が中心の食事が健康に良いと言われますが、それがそもそも我々の進化してきた過程の食事だからかも知れないですね。

著者はこの分野をずっと専門としている研究者ではなく、魚屋に生まれたサルの研究者。
定説を淡々と述べるのではなく、著者の個人的な体験を織り交ぜながら、関連の研究成果をたどっていく構成も読んでいて面白いです。
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