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日本経済史 [放送大学]

今学期のもう一科目は日本経済史。

これは産業論とか細かい話かな、と思ったら、1回目の授業からアンガス・マディソンの推計した西暦1年からの世界各地域のGDPの推移の話に。

一人あたりGDPは西暦1000年の時点ではほぼどの地域でも同じだったのに、それ以降、西ヨーロッパがぶっちぎります。
西暦1年時点では世界のGDPの1/3がインド、1/4が中国でアジア中心でしたが、アジアは人口に比してGDPの伸びが小さく、格差が生じていきます。
しかし、この中で日本は他のアジア地域と比較してじわじわと成長していて、このことが開国以降の急激な成長につながっている一因ではないか、とのこと。

日本の人口についても驚き。
縄文中期の人口は26万人くらいでしたが、その96%は東日本に住んでいたとのこと。
そういえば、気のせいか各地の歴史資料館でも縄文時代の遺跡は東日本で多い気がします。
これが縄文晩期には一旦7万6千人まで減り、再び増加しますが、弥生時代には東日本と西日本でほぼ同じ割合に。
稲作が日本の人口分布を大きく変えたのでしょう。
その後、渡来人の流入もあって人口は増え続けますが、1600年の時点で1200万人。現在の1/10。
明治維新の時点で3000万人くらいだったことはよく知られていますね。そしてこのあたりの時代は歴史的にも一番人口が分散していたようです。
なので、今でこそ人口が都市に集中して・・・と問題になっていますが、歴史的にはこれまでも大きく人口分布は移動してきたのだ、ということがわかります。

稲作についても戦国時代以前は山間部での小規模な稲作が中心で、現在のイメージとは大きく異なるものであったようです。こlれが江戸時代前半に向けて大開墾期となり、技術の進展もあってより下流の沖積平野での稲作が中心となります。江戸時代前期は耕地面積の拡大によって成長し、後半は生産性の向上によって成長したことが分かるそうです。

江戸時代前半は大阪が「天下の台所」として中心都市となり、ここから放射状に流通が行われていたのが、舟運を中心とする物流の発達で地域中核市場が発達し、網目状の流通に移行していきます。
このあたりは、日本の古い港町を訪れるとその痕跡を目の当たりにすることができます。

開国後には近代製糸業が成長を開始して生糸の輸出が急拡大、1920年代にはアメリカ市場で7割のシェアに達します。その結果として、東日本のほとんどの農家で養蚕を行っていたということで、これも各地で屋根が大きい古い民家を見ることによって実感できるわけです。

国内を旅行して見ることと、勉強して知ることがかちっと結びつく感じで、これが面白いところなんですよね。

日本美術史はまずかったけど、こちらの科目は単位認定試験、うまくいったかな。


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