壱岐旅行ちょっと福岡 [旅・出張]
壱岐に行ってきました。
以前対馬に行ったとき、あまりに山がちなのにびっくりしましたが、対して隣の壱岐は平坦で農業にも向いている、とのことで、いつか行ってみたいなと思っていました。
ところがこれがなかなかの苦難で、そもそも今年の年明け早々に行こうと思ったら、羽田のJALと海上保安庁の飛行機の衝突事故で、福岡までの便が欠航になってしまって延期。
ホテルもレンタカーもキャンセル。
そして今度は福岡までの便に乗って、(飛行機が燃えちゃったせいか)国際線仕様の飛行機で、広くていいなとか喜んでいたら、機中で博多から壱岐までの船が欠航となったことを知りました。
福岡空港に着いてからばたばたと調整し、午後の高速船は既に満席となっていたので翌朝に変更。
ホテルに2泊から1泊への変更の電話をし、レンタカーはいったんキャンセルし、博多での1泊のホテルを確保(高い・・・)。
ここまでやって、博多でどうしようか考え、太宰府の九州国立博物館で、先日大阪の中之島美術館でタッチの差で見られなかった長沢芦雪展を見て、太宰府でお参り。
何か工事中で妙な建物になっていました。
福岡アジア美術館を見て、夜は中州で食べて飲んで。
久し振りに食べたアワビの地獄焼き+日本酒も最高だったし、バーでなぜか隣の若者二人組が一杯ごちそうしてくれました。これからキルホーマンを飲むときはおごってくれた二人を思い出そうと思います。
博多良いところ。
そして翌朝、朝一番の高速船は無事出航、思ったより混んでいませんでした。
そしてついに、ついに壱岐に上陸。
郷ノ浦ターミナルから電話してあっさりとレンタカーも借りられて、日程圧縮なので集中して観光開始。
まずは一支国博物館(いきこくはくぶつかん)で予習。
魏志倭人伝での記述が紹介されているが、そもそも何か一支国の字とか人数とか間違いが多いらしい。
弥生時代の原の辻遺跡の映像を見て、映像が終わるとスクリーンが上がって実際の景色が窓から見えるという粋な演出。
元寇の前に刀伊の入寇、さらには南蛮人奄美)が攻めてきたとのこと、
また、弥生式土器が朝鮮半島に渡ったり、朝鮮半島のものが見つかったりしていたらしい
原の辻遺跡まで歩いたが、とても風が強く、寒かった。
原の辻遺跡(はるのつじいせき)は、静岡県登呂遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡に並ぶ国の特別史跡。
そし遺跡がある深江田原平野(ふかえたばるへいや)は長崎県で諫早に次ぐ平野。
まあ、吉野ヶ里遺跡もそうだし、三内丸山のような縄文に関もそうですが、建物が残っているわけではなく、図面が残っているはずもなく、柱を立てた穴の跡などから復元したものなので、まあ、テーマパークみたいなものですよね。
島内を反時計回りにまわっていって、はらほげ地蔵。
海に向かって地蔵が並んでおり、なんで作ったかもよくわからないらしい(諸説あり)。
そして、とにかく東からの風が強くて、台風のよう。
無事に着いたけれど帰れるのかちょっと不安に。
少弐公園には少弐資時の墓があります。
元寇は鎌倉武士が「神風」にも助けられて元を追い返したことになっていますが、2回とも緒戦の対馬と壱岐はほぼ全滅しています。
まさに多勢に無勢の中、奮戦した人達には頭が下がります。
そして最北の勝本浦。
車で行ってもかなり急な坂を下りることになります。
ここは重伝建であったりはしませんが、古い漁師町が残っていていいですね。
鶴と松の意匠が玄関の上に掲げられていて、どういう意味か、玄関に「鬼」と書いてある家もありました。
そして島の中央部には、弥生よりも時代を下って、古墳群が集中しています。
なんか石室も開放されているのですよね。
離島なのにこれだけ古墳が多いというのは不思議です。
平野があることもあって、昔から人口が多かったようです。
神社も多く、月讀神社(つきよみじんじゃ)という古事記っぽい名前の神社も。
ただ、神社はとても多い一方で、お寺は少なく、廃仏毀釈との関係が気になるところです。
日も暮れてきて、名前そのままの猿岩を見て観光は終了。
さすがに1.5日の予定が1日に圧縮されたのでばたばたです。
最後の日の朝、高速船乗り場まで歩いて橋を渡っていると、空き地に菜の花が満開になっているのが見えました。
以前対馬に行ったとき、あまりに山がちなのにびっくりしましたが、対して隣の壱岐は平坦で農業にも向いている、とのことで、いつか行ってみたいなと思っていました。
ところがこれがなかなかの苦難で、そもそも今年の年明け早々に行こうと思ったら、羽田のJALと海上保安庁の飛行機の衝突事故で、福岡までの便が欠航になってしまって延期。
ホテルもレンタカーもキャンセル。
そして今度は福岡までの便に乗って、(飛行機が燃えちゃったせいか)国際線仕様の飛行機で、広くていいなとか喜んでいたら、機中で博多から壱岐までの船が欠航となったことを知りました。
福岡空港に着いてからばたばたと調整し、午後の高速船は既に満席となっていたので翌朝に変更。
ホテルに2泊から1泊への変更の電話をし、レンタカーはいったんキャンセルし、博多での1泊のホテルを確保(高い・・・)。
ここまでやって、博多でどうしようか考え、太宰府の九州国立博物館で、先日大阪の中之島美術館でタッチの差で見られなかった長沢芦雪展を見て、太宰府でお参り。
何か工事中で妙な建物になっていました。
福岡アジア美術館を見て、夜は中州で食べて飲んで。
久し振りに食べたアワビの地獄焼き+日本酒も最高だったし、バーでなぜか隣の若者二人組が一杯ごちそうしてくれました。これからキルホーマンを飲むときはおごってくれた二人を思い出そうと思います。
博多良いところ。
そして翌朝、朝一番の高速船は無事出航、思ったより混んでいませんでした。
そしてついに、ついに壱岐に上陸。
郷ノ浦ターミナルから電話してあっさりとレンタカーも借りられて、日程圧縮なので集中して観光開始。
まずは一支国博物館(いきこくはくぶつかん)で予習。
魏志倭人伝での記述が紹介されているが、そもそも何か一支国の字とか人数とか間違いが多いらしい。
弥生時代の原の辻遺跡の映像を見て、映像が終わるとスクリーンが上がって実際の景色が窓から見えるという粋な演出。
元寇の前に刀伊の入寇、さらには南蛮人奄美)が攻めてきたとのこと、
また、弥生式土器が朝鮮半島に渡ったり、朝鮮半島のものが見つかったりしていたらしい
原の辻遺跡まで歩いたが、とても風が強く、寒かった。
原の辻遺跡(はるのつじいせき)は、静岡県登呂遺跡、佐賀県吉野ヶ里遺跡に並ぶ国の特別史跡。
そし遺跡がある深江田原平野(ふかえたばるへいや)は長崎県で諫早に次ぐ平野。
まあ、吉野ヶ里遺跡もそうだし、三内丸山のような縄文に関もそうですが、建物が残っているわけではなく、図面が残っているはずもなく、柱を立てた穴の跡などから復元したものなので、まあ、テーマパークみたいなものですよね。
島内を反時計回りにまわっていって、はらほげ地蔵。
海に向かって地蔵が並んでおり、なんで作ったかもよくわからないらしい(諸説あり)。
そして、とにかく東からの風が強くて、台風のよう。
無事に着いたけれど帰れるのかちょっと不安に。
少弐公園には少弐資時の墓があります。
元寇は鎌倉武士が「神風」にも助けられて元を追い返したことになっていますが、2回とも緒戦の対馬と壱岐はほぼ全滅しています。
まさに多勢に無勢の中、奮戦した人達には頭が下がります。
そして最北の勝本浦。
車で行ってもかなり急な坂を下りることになります。
ここは重伝建であったりはしませんが、古い漁師町が残っていていいですね。
鶴と松の意匠が玄関の上に掲げられていて、どういう意味か、玄関に「鬼」と書いてある家もありました。
そして島の中央部には、弥生よりも時代を下って、古墳群が集中しています。
なんか石室も開放されているのですよね。
離島なのにこれだけ古墳が多いというのは不思議です。
平野があることもあって、昔から人口が多かったようです。
神社も多く、月讀神社(つきよみじんじゃ)という古事記っぽい名前の神社も。
ただ、神社はとても多い一方で、お寺は少なく、廃仏毀釈との関係が気になるところです。
日も暮れてきて、名前そのままの猿岩を見て観光は終了。
さすがに1.5日の予定が1日に圧縮されたのでばたばたです。
最後の日の朝、高速船乗り場まで歩いて橋を渡っていると、空き地に菜の花が満開になっているのが見えました。
コメント 0