守山 [高谷について]
新幹線で行くには京都より手前ですが、米原まで行くのに名古屋でこだまに乗り換えなければ
ならないため、時間はちょっと余分にかかります。
今回は旅行というわけではなくて、父のいとこにあたる親戚に会って、昔の話などを聞いてきました。
東京では滅多に見られないようなお屋敷の仏間で食事を挟んで4時間近く話を聞いてきました。
たぶん、これまで一度も会ったことがない初対面なのに、それだけ話ができるというのは不思議ですね。
高谷家は滋賀県大津の造り酒屋だったらしいですが廃業していて、親戚は滋賀、京都や関東に
広く散らばっています。最近まで知らなかったのですが。
父方の祖父は私が生まれてすぐに亡くなり、祖母も私が大人になった頃には痴呆が進んでいたので、
昔のことは聞く機会が無かったのですが、いろいろな話を聞いてつなげて考えると、戦争を挟んだ
現代史の中で振り回されながらも生き延びてきたご先祖様が自分につながるのだと思うと不思議な
感じがします。
忌が明けました [高谷について]
早いもので、今日、母の49日の法事でした。
法事と言えば、親戚が集まってお坊さんがお経を上げるのを聞く、
というものですが、49日は加えて納骨をするし、位牌も白木から黒塗りのものに
交換するので、一つの区切りという気がします。
あっという間に終わりましたが、ちょっと肩の荷が下りてほっとしています。
月末にはまた今度は父の3回忌なんですけどね。
母の逝去 [高谷について]
日曜日に母が亡くなりました。
通夜、告別式の詳細はこちらです。
http://www.takayas.jp/toshiko02.pdf
しばらくばたばたして、いろいろご迷惑をかけますが、
よろしくお願いします。
これで祖父母と両親が全員亡くなってしまいました。
一昨年の父の時と違って、突然の事なので、ちょっとこたえますね。
中国残留孤児 [高谷について]
永住帰国した中国残留孤児が国に損害賠償を求めて訴えましたが、東京地裁に棄却されて敗訴となりました。
朝のテレビで、若者にインタビューをしていましたが、そもそも中国残留孤児を知らない人が多いということでした(という編集でした)。
そう言えば、昔は中国残留孤児が肉親捜しのために来日しては、肉親を見つけて抱き合う、というニュースを何度も見たように思いますが、最近は見ないですね。
私の父は、そういったニュースを真剣に見ていたと言います。
祖父の家族は満州からの引き揚げだったので、子供だった父は中国残留孤児と同じ境遇になってもおかしくはなかったからだと思います。
祖父は満州で軍の情報関係の仕事をしていたらしく、ソ連の対日参戦もいち早く知る立場にあったようです。そのこともあってすぐさま帰国しようとして、最後の引き揚げ船に間に合ったと聞いています。
祖母の話では、鉄道で移動したとき、女子供ばかりで、祖父ともう一人しかいない男が銃で武装して守っていたとのこと。
叔母の話によれば、扉もない列車だったため、子供を抱いていた母親が寝てしまった間に子供を落としてしまい、目を覚まして気づいて取り乱していたという光景も見たそうです。
肝心の父は、4歳くらいだったはずなので、そのあたりの記憶はなかったようです。
大連に住んでいたと言うことですが、唯一の記憶としては、何だか道を挟んで中国人らしき子供と石を投げ合っていた気がするくらいだと言っていました。
今回の判決は、法律論としてはやむを得ない気もします。
しかし、国の責任は別として、苦労をされてきた高齢の「日本人」が、穏やかに人生の終盤を過ごせる環境を作ってあげられないものかな、とも思います。
意に反して日本に帰れない生活をせざるを得なかった、と言う意味では、北朝鮮に拉致された日本人とも同じだと思うのです。
日本語が不自由だから、と言うのは、同胞意識をかき立てる上では大きなデメリットになっているんだな、と感じますね。
時計 [高谷について]
修理を依頼していた時計が帰ってきたので、受け取りに行ってきました。
この懐中時計は、先日遺産の処分で貸金庫を空けたときに出てきたもの。たぶん、祖父が使っていたものだと思う。
スイスのMOVADO社のもので、手巻き。リューズが1つしかなくて、ねじを巻くのはともかく、どうやって時間を合わせるのだろうといじっていたら、リューズがずぽっと抜けてしまった。
時計修理に持っていったところ、古いので修理できるかはわからないと言われた。修理できない場合は、アンティークを扱っている店で同型を入手し、部品を取り出すしかないという。
とりあえず、修理ができるか確認するために預けたところ、しばらくして連絡があり、修理できるとのこと。なんでも、同じ部品をわざわざ製作して修理するとのこと。さすが。でも、お値段\42,000、新品の時計が買えてしまう。躊躇したが、せっかくなので修理してみた。
ということで、戻ってきたのが上の時計。e-Bayなんかで出品されているものを見ると、たぶん20世紀の前半に作られたものだと思う。時間を合わせてもらって、ねじを巻いて動いているのだが、手巻きでおもちゃのように見えるくせに、結構正確で、今見てもほとんど時間はずれていない。チッチッチッチッという機械的な音を出して動いていて、結構おもしろいもんですね。
ついでに、他の時計について。
これは普段つけて歩いている時計で、シチズンのATESSAという中級シリーズのもの。チタンでコーティングされているので、下品にぴかぴかせず、渋い光沢を放っているところが気に入っている。小型で好みだし。
先日時間が極端に遅れるので、修理に持っていった。クオーツって普通遅れないですよね?
電池はまだ問題はないとのこと。「何年くらい使っていますか?」と聞かれたので、「うーん、5年くらいですかねえ。」と答えたが、調べてもらったら、10年は越えているとのこと。そういえば、就職してから間もなく買ったような気もする。年を取るもんじゃないですね。
普通の時計だから、10年も経つと、部品すらなくなっている恐れがあるとのことだったが、分解掃除してもらったら見事に復活して、今も元気に活躍している。
ただ、唯一不満があるのが、日付機能で、31日ない月には、ぐりぐり針を回して合わせないといけない。これが面倒くさい。ということで、日常的にずれたまま使っていたりする。
次の時計がこれ。
主に夏に使っているもので、汗をかいて腕時計がうっとうしいときに代わりに使っている。
スーツによっては便利なところに内ポケット(たばこポケットというらしい)があるので、そこに入れておいたりするが、机の上に置いたりすると忘れる。ということで、飲み屋に忘れて次の日に取りに行ったこともある。
やっぱり、腕時計に比べて、時間を見るときに1アクション遅れるんですよね。特に両手に荷物を持っていたりするとだめ。
最後はこれ。
デジタル表示のBaby G。普段着の時に使っているもの。
これも結構気合いが入っている。人にそう指摘されたこともある。
それも当然で、海辺から標高4,000m、熱帯雨林から砂漠まで、ヨーロッパ、南米と世界を回ってきたもの。
そもそもデジタル表示の時計にしたのは、海外旅行で便利だから。
日本発着はもちろん、ヨーロッパを鉄道で旅行していたりすると、頻繁に時差が生じるのですが、そのたびにいちいち針を回して調節するアナログ時計だとやってられない。
飛行機でアナウンスされる時間もいまいち正確じゃないし、ましてやヨーロッパに行くとそこらにある時計がみんな微妙にずれていて、何が何だかわからなくなる。
その点、デジタルだと、きちんと時間を合わせて旅行に出発すれば、時間の部分だけ+1時間、-1時間のように分秒のずれを起こさずに調節することができる。
いろいろ文字盤が着いていて、世界各地の時間がわかるようなものもあるようだが、あれはいまいち。現地時間のみを意識して生活することが、時差ぼけを防ぐためにも大事なこと。
Babyにしたのは、不要に大きい時計が嫌いだから。
あと、あまり使ってはいないが、一応アラーム機能がついているので、それも便利。
(注:目覚ましが着いたり、モーニングコールをしてくれるのは、高級ホテルだけです。)
しかし、こうやって見ると、随分物持ちが良い感じ。
新しい時計も欲しいんですけどね。
最近、スイス製の機械式高級時計が流行っているようで、デザインとしてはごついものが人気だそうです。
なので、国産の太陽電池式の小さめの時計が欲しいです。
教育勅語 [高谷について]
一昨年に祖母、昨年に父が亡くなったため、古い家のものを整理しています。
いろいろなものが出てきますが、こんなものも出てきました。
教育勅語を漢文として掛け軸にしたものです。
教育勅語については、ご多分に漏れず私も戦後教育を受けたので、内容も知らずに否定的な印象だけを持っていましたが、実際に内容を読んでみてからは、天皇制を前提にした形式的な部分はともかく、日本人としての道徳とは何か、と言うことをきわめて簡潔に示していると感じるようになりました。
http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.html
さて、この掛け軸は、入れ物に書いてある記述を見ると、「昭和7年12月正文筆」となっていて、戦前のものです。少し汚れていますが、しっかりしているのを見ると、和紙というのは丈夫なものですね。
戸籍の謎 [高谷について]
振り替え休日をとって、残った相続手続きを少し進めました。
具体的には、祖母の銀行口座の解約。
昨年に祖母が、そして今年父が亡くなったので、まだ祖母の名義のままになっている口座があって、それを払い戻していくのです。
それにしても戸籍はやっぱり不思議。
この2ヶ月で随分勉強になりました。
まず、戸籍ってよく見ると、名前の読み方が書いていない。
実は住民票でも必須項目でないらしく、武蔵野市のやつには無い。
つまり、名前の字は決まっているものの、読み方というのは少なくとも戸籍レベルでは公式に登録されていない。
そのため、字がとても重要となるため、「字体」がどうの、と言うのはかなり重要な問題になる。
しかし。その字体さえ、どこまで厳密かわからない。私の名字は「高谷」ですが、「高」という字にはいわゆる「はしご高」というのがあります。
正式な字は「はしご高」だ、となんとなく言われていて、そう信じていたのですが、戸籍をよく見ていると・・・んんん?なんと普通の「高」になっています。
遡ってみると、祖父が筆頭の戸籍で、大津にいた頃は確かに「はしご高」になっているのですが、東京に転籍した時点でなぜか普通の「高」に変わっています。結構いいかげん。
その他、戸籍の豆知識。
「除籍」
戸籍に入っている人がすべて抜けてしまって空になったもの(全部に×がつく)は、戸籍ではなく「除籍」と呼ぶ。なんとこんなものが市町村役場には延々と保存されているらしい。
ちなみに、結婚する際に必ず新しい戸籍を作るようになったのは最近(多分昭和33年)らしい。それまでは、結婚すると新しい戸籍を作るのは「分家」になる場合だけで、長男などいわゆる「本家」の場合は結婚しても戸籍を抜けずそのままだったようだ。つまり、妻が夫がいた戸籍に入るだけ。そして、父が死ぬと、戸籍の筆頭者を継承する、という形式。
「転籍」
実は本籍は変えることが出来る。本籍を引っ越すことを「転籍」と呼ぶ。
「改正原戸籍」
「かいせいげんこせき」、あるいは「かいせいはらこせき」と呼ぶ。「現戸籍」と紛らわしいので、後者の呼び方があるらしい。
結婚したり、転籍しなくても、昭和32年の戸籍法改正によって、あるいは平成6年の電算化によって、勝手に役所側で戸籍が作り替えられてしまっている場合がある。この場合、作り替える前のものを「改正原戸籍」と呼ぶ。
作り替えるならすべて情報を引き継げばいいのに、そうでないこともあるので、戸籍調査をする場合は、この「改正原戸籍」も取り寄せないといけないことがある。
戸籍調査は続く [高谷について]
夏休みは一週間だったのに、結局大半を相続関係の手続きなど事務作業にとられてしまった。その上、全部終わらなかった。あと1日平日休めれば、ほとんど終わったのに、戸籍・除籍が集まらなかった。
さて、親戚と話す機会があったりしたこともあり、随分といろいろなことがわかりました。核家族化していると、祖父母の名前すら怪しいですものね。
戸籍もなかなか読むとおもしろいです。昔のものは手書きで、達筆で、数字が全て漢字なので極めて読みにくいですが。
以前も書きましたが、高谷祖父は、滋賀県大津の出身で、父、祖父、曾祖父、さらにもう1代まで名前と出生日がわかりました。
高谷祖母は、これははじめて知ったのですが、山形の出身だそうです。祖母の戸籍は、養子などで途中で姓が変わっているので複雑ですが、大正時代まで遡ることができました。しかし、多分生まれたときの情報が載っている戸籍については、「昭和20年3月10日に戦災のため消失」という回答が文京区役所から返ってきました。東京大空襲、ということですね。従って、山形県出身ということを証明する公的資料はなさそうです。
先月亡くなった父は、東京生まれですが、幼少の時に一時大連で過ごし、大津で高校まで育ち、その後東京に来ています。そこで長野出身の母と結婚することになります。
こう考えてみると、東京生まれ、東京育ちの私ですが、滋賀、山形、長野と様々なルーツが混じってきているのですね。縁とは不思議なものです。
戸籍はややこしい [高谷について]
おととい蚊に刺された右手首のうち1か所は、状況がますます悪化して、現在幅4cm、長さ6cmで腫れあがっており、熱を持っている。これがツベルクリン反応だったら、完全アウトといったところです。
さて、今週は夏休みで会社が休みにもかかわらず、父の相続の関係で1日中いろいろなところにいったり、書類を書いたりしています。いろいろなところで要求されるのが「戸籍」謄本だが、これがおもしろいけど、とてもややこしい。
何で相続で戸籍を要求されるかというと、相続人を明らかにするため。
わが家族は父、母、私、妹の、なんということはない普通の家族であった。それは、非常に当たり前で、周りの誰に言っても簡単に信じてもらえることなのだが、相続をする際にはそれを証明しなければならない。すると途端にこれがややこしいことになる。
まず、父が筆頭者の戸籍を取り寄せると、母が配偶者で、私と妹が子であることがわかる。そして、父が死亡して除籍になっている。しかし、この戸籍は父母が結婚したときに新たに作られたもの。従って、
「実は父は、母と結婚する以前に誰かと結婚していて子供がいるかもしれないのではないか。」
という疑問には答えられない。そこで、祖父覚蔵が筆頭者の除籍(全員抜けてしまった戸籍をこう言うらしい)を取り寄せると、そこには父について、生まれて入籍し、結婚して新たな戸籍を作ったため除籍と書いてある。この2つを組み合わせると、一応、父について生まれてから結婚して死ぬまでの連続した情報が得られて、相続人は、母、私、妹だけということでいいです、ということになる。
しかし、これは簡単な例。
現在相続手続をしている中には、祖母名義になっているものもある。祖母は昨年亡くなり、父は今年亡くなったので、祖母→父の相続手続が完了していないものがあるのだ。
(ちなみに祖父はずっと前に亡くなっている)
従って、上記父の情報に加えて、祖母の相続人が父と叔母のみであることを証明しなければならない。
これがややこしい。時期的にも昔だし。
祖父の戸籍には、祖父と祖母が結婚した後のことしか書いていないので、結婚前に祖母が入っていた戸籍を入手して、生まれたときに属していた戸籍までさかのぼらなければならない。
しかし、祖父母は滋賀県の大津から転籍(本籍地を移動すること)しているし、祖母が結婚直前に属していた戸籍は「東京市本郷区」とか書いてあるし・・・。
戸籍はその本籍がある役所でしかとれない。一応、それぞれの市役所、区役所に郵便で申請を送ってお願いをしているのですが、どこまで集まることやら。
ついでに言うと、戸籍はこれまでに一斉に作り替えが行われたことがあるらしく、そこで切れている場合がある。そのため、作り替え前と作り替え後の両方を取り寄せなければならないこともある。
そのため、「戸籍調査」というのは1つの分野として仕事になっているものらしい。
こういうのこそ、全部データベース化して電子化されるとありがたいのだけど・・・。