奄美大島旅行 [旅・出張]
11月の三連休は奄美大島に行ってきました。
祝日の金曜日に、少々家事を済ませてから羽田空港に行き、まずは鹿児島空港へ。
羽田空港の出発遅れに加えて向かい風で飛行機が遅れたので、鹿児島空港では20分で乗り換えて、奄美大島の空港へ。
午前中に家を出たのに、着いたのは夕方。
奄美空港は、島の北端と言って良いところにあり、日の入りは東京よりずっと遅いものの、
空港近くの奄美パークなどを見て、島の中心部の名瀬のホテルにチェックインしたときは真っ暗でした。
さて、奄美大島。
北方領土を除くと沖縄島、佐渡島に次いで7番目に大きな島で、8番目の対馬より大きい。
また、佐渡島は人口6万人を割っているのに対して、奄美大島は11万人ほど住んでいます。
対馬もそうですが、山がち。
そのため、各々の集落(シマと呼ぶらしい)の間の陸路は不便で海路が中心で、結果的に各々の異なった文化が発展したとのこと。
現在はトンネルが掘りまくられていて、ちょっと隣町に行くにもすぐトンネル。
でも、このトンネルのおかげで最近は島内の時間距離が随分縮んでいるらしい。
ちなみに、奄美大島は南北というより東西に長いように思うのに、なぜか南部、北部という言い方をします。
夕食は名瀬の屋仁川(やんご)通りで。
ここは、鹿児島県内では天文館に次ぐ規模で、昔は300軒、今でも200軒の店が並んでいるそう。
ただし、店は住宅に混じって並んでいるし、客引きもいないのでのんびりしています。
ここで名物、黒糖焼酎デビュー。
ラム酒と焼酎のあいのこみたいで、甘くて美味しいですね。
鮪は多くある食材で、奄美でエラブチと呼ぶ、ブダイも美味しい。
翌日は朝からマングローブでカヌー。
ブラタモリでもやっていたやつですね。
簡単な漕ぎ方を教わってから一人用に乗りましたが、結構安定していて、あっさり乗れました。
流れがあっても、思いのほか自由に動けるし、視線が水面に近いので、これは楽しい!
この時間は干潮だったそうで、干潟に上陸すると、小さな蟹が穴から出入りしていて、小さなトビハゼがぴょんぴょんと飛び跳ねていました。
うっそうとしたマングローブの中を進む、というのは満潮のときだそうです。
昼食後、一気に島の南部まで走り、山の中でマテリヤの滝。
遊歩道があって、歩けるのに誰もおらず、神秘的でした。
ハブが出ないかなあ、とちょっと心配ではありましたが。
夕暮れ時は、高知山展望台へ。
奄美大島の南部にはすぐに向かい合って、加計呂麻島があり、その間の大島海峡が臨めます。
ここもブラタモリで映ったところみたいですね。
入り組んだ奄美大島には、荒い波の海、静かな波の海があり、大島海峡は至って穏やか。
対岸の加計呂麻島、のんびりしたところで、夜はとてもきれいに星が見えるそうです。
そして最後の日は、ホテルをチェックアウトし、まずは名瀬市内の奄美市立奄美博物館。
奄美の歴史、文化、自然の展示があります。
奄美の歴史はもちろん本土と異なっていますが、特に古代は沖縄と同様、本土とは独立して歩んできたと考えられてきました。
しかし、展示によれば、喜界島に城久遺跡が見つかったことにより、奄美諸島は大和朝廷と古くから交流があったのではないか、と考えられてきているそうです。
奄美大島の小湊フワガネク遺跡では大量の夜光貝が見つかり、これは加工して本土に輸出されていた可能性があります。
平泉の中尊寺金色堂の螺鈿は、奄美の夜光貝を使っている可能性があるそうです。
屋外には、奄美の民家の展示がありました。
最後は再び南部に行って、ホノホシ海岸。
ここは荒波に洗われて丸い石ばかりで、引き波のときにがらがらと音を立てる。写真を撮っている人も多かった。
この丸い石、地元の人は持って帰ると災いがあると信じているそうです。
ここで旅は終了、一路北部の奄美空港へ。
途中の龍郷町で、奄美名物の鶏版をさっと食べて、奄美歴史民俗資料館をさっと見て、空港に滑り込み。
鹿児島空港を経由して帰ってきました。
今年は、マルタ、キューバ、佐渡島、そして奄美大島と島が続きました。
遠くて時間がかかるし、お金もかかりますが、島の旅、はまってしまいそうです。
祝日の金曜日に、少々家事を済ませてから羽田空港に行き、まずは鹿児島空港へ。
羽田空港の出発遅れに加えて向かい風で飛行機が遅れたので、鹿児島空港では20分で乗り換えて、奄美大島の空港へ。
午前中に家を出たのに、着いたのは夕方。
奄美空港は、島の北端と言って良いところにあり、日の入りは東京よりずっと遅いものの、
空港近くの奄美パークなどを見て、島の中心部の名瀬のホテルにチェックインしたときは真っ暗でした。
さて、奄美大島。
北方領土を除くと沖縄島、佐渡島に次いで7番目に大きな島で、8番目の対馬より大きい。
また、佐渡島は人口6万人を割っているのに対して、奄美大島は11万人ほど住んでいます。
対馬もそうですが、山がち。
そのため、各々の集落(シマと呼ぶらしい)の間の陸路は不便で海路が中心で、結果的に各々の異なった文化が発展したとのこと。
現在はトンネルが掘りまくられていて、ちょっと隣町に行くにもすぐトンネル。
でも、このトンネルのおかげで最近は島内の時間距離が随分縮んでいるらしい。
ちなみに、奄美大島は南北というより東西に長いように思うのに、なぜか南部、北部という言い方をします。
夕食は名瀬の屋仁川(やんご)通りで。
ここは、鹿児島県内では天文館に次ぐ規模で、昔は300軒、今でも200軒の店が並んでいるそう。
ただし、店は住宅に混じって並んでいるし、客引きもいないのでのんびりしています。
ここで名物、黒糖焼酎デビュー。
ラム酒と焼酎のあいのこみたいで、甘くて美味しいですね。
鮪は多くある食材で、奄美でエラブチと呼ぶ、ブダイも美味しい。
翌日は朝からマングローブでカヌー。
ブラタモリでもやっていたやつですね。
簡単な漕ぎ方を教わってから一人用に乗りましたが、結構安定していて、あっさり乗れました。
流れがあっても、思いのほか自由に動けるし、視線が水面に近いので、これは楽しい!
この時間は干潮だったそうで、干潟に上陸すると、小さな蟹が穴から出入りしていて、小さなトビハゼがぴょんぴょんと飛び跳ねていました。
うっそうとしたマングローブの中を進む、というのは満潮のときだそうです。
昼食後、一気に島の南部まで走り、山の中でマテリヤの滝。
遊歩道があって、歩けるのに誰もおらず、神秘的でした。
ハブが出ないかなあ、とちょっと心配ではありましたが。
夕暮れ時は、高知山展望台へ。
奄美大島の南部にはすぐに向かい合って、加計呂麻島があり、その間の大島海峡が臨めます。
ここもブラタモリで映ったところみたいですね。
入り組んだ奄美大島には、荒い波の海、静かな波の海があり、大島海峡は至って穏やか。
対岸の加計呂麻島、のんびりしたところで、夜はとてもきれいに星が見えるそうです。
そして最後の日は、ホテルをチェックアウトし、まずは名瀬市内の奄美市立奄美博物館。
奄美の歴史、文化、自然の展示があります。
奄美の歴史はもちろん本土と異なっていますが、特に古代は沖縄と同様、本土とは独立して歩んできたと考えられてきました。
しかし、展示によれば、喜界島に城久遺跡が見つかったことにより、奄美諸島は大和朝廷と古くから交流があったのではないか、と考えられてきているそうです。
奄美大島の小湊フワガネク遺跡では大量の夜光貝が見つかり、これは加工して本土に輸出されていた可能性があります。
平泉の中尊寺金色堂の螺鈿は、奄美の夜光貝を使っている可能性があるそうです。
屋外には、奄美の民家の展示がありました。
最後は再び南部に行って、ホノホシ海岸。
ここは荒波に洗われて丸い石ばかりで、引き波のときにがらがらと音を立てる。写真を撮っている人も多かった。
この丸い石、地元の人は持って帰ると災いがあると信じているそうです。
ここで旅は終了、一路北部の奄美空港へ。
途中の龍郷町で、奄美名物の鶏版をさっと食べて、奄美歴史民俗資料館をさっと見て、空港に滑り込み。
鹿児島空港を経由して帰ってきました。
今年は、マルタ、キューバ、佐渡島、そして奄美大島と島が続きました。
遠くて時間がかかるし、お金もかかりますが、島の旅、はまってしまいそうです。
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