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旧ユーゴスラビア旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

ゴールデンウィークは旧ユーゴスラビア(の一部)を旅行してきました。
海外旅行は河西回廊旅行以来、半年ぶりです。

内陸のベオグラードから南下してアドリア海に出て、再び北上してサラエヴォに行くルート。
地形と民族について考えさせられる旅でした。
あと、雨が多かった。

■ベオグラード

まずはトルコのイスタンブールで乗り換えて、セルビアのベオグラードへ。
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ベオグラードは、ドナウ川とサヴァ川という二つの川が合流する要所にあり、普通の東欧の街ですが、街の北側の合流地点は小高い丘となっていて、古くから要塞が築かれ、今では公園になっています。
この時期復活祭で連休になっているとかで、博物館などは軒並み休みでしたが、公園は人がたくさんでした。

内陸は肉料理主体で、これはムチュカリツァといって、豚肉の小さな塊をトマトと、多分パプリカで煮込んだもの。
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■ノヴィ・サド

翌日はセルビア北部のノヴィ・サドに日帰り。
セルビア第二の都市で、ドナウ川沿いに広がります。町の対岸には要塞があり、現在ではアーティストが住んだり、野外音楽祭の会場になっているそうです。
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ややこしいですが、セルビア北部はハンガリー人などが多い多民族地域であり、ヴィオヴォディナ自治州とされていて、ノヴィ・サドはその州都という位置づけです。街を歩いていて人の顔つきを見ても、そのあたりはよくわかりません。
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この市庁舎は、何だか日本の擬洋風建築に似た雰囲気を持っていますね。


■ポドゴリツァ

セルビアから鉄道で南下して、モンテネグロに入国、首都のポドゴリツァへ。
この路線はバール鉄道と呼ばれ、山越えで景色が良いことで有名です。
ただ、随分と老朽化していてあまりスピードを出しません。特に橋なんてそろりそろりと渡る感じなんですよね。
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ポドゴリツァはリブニツァ川とモラチャ川が合流する地点にあります。
モンテネグロは面積の割に60万人の小国なので、地方都市。
着いたときは大雨でしたが、翌朝はようやく晴れてきた。
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■ブドヴァを経由してコトルへ

ポドゴリツァからさらに南下していよいよアドリア海へ。
このあたり、クロアチアの海沿いと似ていて、リゾートとしてこれから発展しそうです。

まずはブドヴァの旧市街を(雨の間隙を突いて)さっと見て、
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さらに西のコトルへ。
ここは良いところですね。
アドリア海に面した深い湾の一番奥にあります。
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ドブロブニクに近いことから、そことセットで訪れる観光客も多いようです。


■ドブロヴニク

国境を越えて、クロアチアの飛び地のドブロヴニクへ。
ここは14年ぶりの再訪。日本人も含めたアジアからの観光客も多く、物価も上がっていてちょっと浦島太郎。
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ちょっと感傷的ですが、前回と同じホテルに泊まってみました。
ここは旧市街の喧噪が嘘のように静かで、ベランダからはアドリア海の夕陽が見えます。あんまり天気良くないけど。
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■モスタル

クロアチアの飛び地を出て、ボスニア・ヘルツェゴビナを通って、またクロアチアに入り、内陸に方向を転じてボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ。
アドリア海から、1時間くらい走っただけで、モスクが目立つようになり、雰囲気が一変します。
建物に弾痕が残っているし・・・。

ここれはアドリア海に注ぐネトレヴァ川沿いの町で、橋で有名。
実際に橋を架けた結果として人が増えて出来た町だそうです。
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この橋もボスニア紛争で、完全に破壊され、ユネスコの協力で再建されました。
うなぎの豪快な炭火焼きを食べました。
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■サラエヴォ

最後はボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォ。

ここも内戦で包囲されて大変だったところです。
目立つところはきれいになっていて観光客で溢れていて、街行く人の表情も明るく、店も身なりもおしゃれ。
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しかし、不思議なところです。
盆地に広がった街ですが、よーく見ると、モスクの尖塔があちこちに出ています。
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街中にはモスクも、カトリックの教会も、正教の教会もあります。
そうしたところはスペインのイスラム、トルコのキリスト教もありますが、あくまでも過去のもの。
サラエヴォの場合はどれも今でも使われています。エルサレム以来の感覚。

かつてはこうして異なる宗教の人達が仲良く暮らしていたのだと思いますが、内戦は民族の衝突を避けるデイトン合意によって終結し、事実上分離した国家のようです。実質的に元首も民族代表が8か月毎に交代で務めているそうです。
結果として、海外からの投資も遅れ、失業率も高い。

部外者から見れば、皆同じような顔つきで、同じ言葉をしゃべっていて、仲良くすればと思うのですが、不信感は根深いようです。
壮麗な旧市庁舎は図書館として使われていましたが、セルビア人の攻撃で貴重な資料が燃えてしまいました。
今では修復されていますが、入口の掲示がこれ。
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簡単には行きそうにないですね。

「セルビア人」も「モンテネグロ人」も「クロアチア人」も「ボシュニャク人」も同じ南スラブ人で、同じ言葉を話します。
「民族」という言葉の意味を考えます。



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