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モスクワ(個人的なルーツと重ねるダイジェスト) [旅・出張]

さて、次はモスクワです。
サンクトペテルブルクより、ビジネスの街、大都市という感じですね。

私の祖父、高谷覚蔵は1923年から10年あまり、モスクワやウラジオストクなどのロシアに滞在しました。
1917年に革命が起こった後、レーニンが死去し、スターリンが権力を掌握し、第1次5カ年計画が実施され、体制が独裁に変質しつつある時期でした。

ロシアへの飛行機では、高谷覚蔵「レーニン スターリン マレンコフ」(昭和28年)を熟読して予習しました。その内容を紹介しつつ、モスクワを振り返ってみます。

ルーツの旅です。

「北欧の冬は早い。汚く汚れた駅舎に真白な雪片が惜しげもなく吹き付けていた。仰ぐと冬の日差しもどんよりして雪空に見えない。が、へんぽんと屋舎の上にひるがえる赤旗。旗は小さいがプロレタリヤの祖国の国旗。革命の勝利を誇っているかの赤旗。私はその瞬間深い感激に震え、ロシヤの大事を踏みしめた。時に1923年10月の末であった。」

クレムリンの大統領官邸
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「山紫水明の日本からきている日本人には山のないのが淋しかった。そこでよくモスクワ郊外の雀ヶ丘に行った。モスクワ人はこれを山だと思っているが、私たちにすれば丘までもゆかない町の高所というくらいの所だった。それでもとにかく山らしいのだから私たちには魅力があった。ここは昔ナポレオンがモスクワに攻め入ったときここに立って燃えるモスクワを眺めたというので有名であった。」

雀が丘の展望台より眺める今のモスクワの街
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「1930年の頃と記憶している。極東からモスクワへ行っていたとき、この寺院の爆破があるということで見に行ったことがある。現場に行ってみると、寺院の周囲の民家の窓という窓があいて、人が鈴なりになって寺院のほうを眺めている。ゲペウが寺院の周囲を取り巻き、その1箇所でゲペウ軍楽隊がインターナショナルを奏ではじめた。それを合図に爆破がしかけられ、さしも、立派な国宝級の大寺院が、一瞬にして大音響とともにつぶれてしまった。」

救世主キリスト聖堂
宗教弾圧の結果爆破された大聖堂は、ソ連崩壊後の2000年に再建された。
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「レーニンの遺骸はモスクワに運ばれ、組合会館に安置された。連日各国共産党員が交代で棺の傍らによりそってこれを守った。私も一夜日本共産主義者を代表して、劍つき銃を持って棺につき添った。平常服につつまれた彼の遺骸の下半身は赤旗で覆われ、彼の両手はそっと腹のあたりに置かれていた。
彼の死顔には長い間病魔にとりつかれた肉体的苦痛がありありと現れていた。しかし、その苦痛の中にも革命の将来を夢みつつ死んで行ったと思われるような、どこかロマンティックな明るさをさえたたえていた。」

クレムリン前のレーニン廟
今でもレーニンの遺体が保存され、展示されている。
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「なるほど、革命後のソ連のあらゆる面における建設は偉大なものであった。新しい多数の巨大な工場ができた。新しい鉄道と運河が創られた。立派なアパート、劇場、病院、託児所が建設された。学校、研究所に新建築も素晴らしい。文盲率も驚異的に低下した。・・・だが、とわれわれはこの外形的な発展に驚嘆する前に考えなければならない。・・・さらにまた学問、研究の立派な施設ができたが、研究は自由にできるか。自由に意見を開陳し、批判を加えることができるのか。もし学問や思想家の真理探究の徒として敢えて自由なる初心を表面に出すとすれば、彼自身の運命はどうなるのか。」

モスクワ大学
いわゆるスターリン・クラッシックの建物である。
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「モスクワの風呂は帝政時代からヨーロッパでも有名で、例えばボリショイ劇場の附近には、今でも残っていると思うが、豪華な風呂屋が軒をならべていた。中に入ると脱衣室から浴槽まで大理石ずくめであった。
マッサージもやってくれる。爪も切ってくれる。上等のになると特別の蒸し風呂と普通の浴槽がととのい、至れりつくせりのサービスをしてくれた。昔はパリに飽きた粋客がわざわざモスクワまで風呂に入りにきたということだ。」

ボリショイ劇場
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「とうとう国境の駅についた。ゲペウと税関の検査を受けるため旅客は全部プラットフォームにおろされた。すぐ鼻先の国境の方を、見ながらイライラしていた。それは時間にしてわずか十分であったが、私にとっては更に待ち切れぬ長い時間であった。ゲペウが検査にきた。もしかしたら、帰国中止のモスクワからの命令を持って来やないかしら。私の焦燥感はクライマックスに達した。だが何事もなかった。検査が終わって再び乗車した。汽車がゴトゴト動き出した。そして数分後、私は国境を通過した事を知った。ああ、そのときの大きな感動。もう二度とモスクワに帰らなくてもいいのだ。自由になったのだ。そう思うと世界が一時にパッと明るくなったように思われた。」

マルクス像
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20世紀の世界に現れて消えていった共産主義。
太平洋戦争。

そうした大きな波の中で、自分の命へとつながってきたことについて、終戦記念日に考えます。

さて、明日からは仕事をがんばりましょう!


旅程
ロシアの旅行記
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コメント 2

ひぐま

お久しぶりですな。
今。ロシア人と仕事してます。
by ひぐま (2010-08-27 18:21) 

高谷徹

ハラショー。
北海道からはロシアの極東にすぐ行けますからね。
by 高谷徹 (2010-08-28 01:02) 

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