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河西回廊旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

シルクロードの旅として、ウズベキスタン旅行、イラン旅行、東トルキスタン旅行をしてきたので、今回は一番東側の河西回廊を旅行してきました。

ちなみに、なんと気がつくと中国本土の旅は7回目です。

西安から西へ向かうシルクロードのルートは、タリム盆地に出るまで山が両側にあって谷間のようになっています。これが河西回廊で、乾燥している地域なので、水が得られるところにオアシス都市が点在しています。
漢の時代に武帝の命を受けた張騫(ちょうけん)がこのルートの情報を中国にもたらし、霍去病や衛青という武将の活躍によって、西域とつながるこのルートが漢の支配下となり、河西四郡として、東から武威(かつての涼州)、張掖(甘州)、酒泉(粛州)、敦煌(瓜州)の4郡が置かれ、中国と西域を結ぶシルクロードが開通しました。

今回は河西回廊を東から西へ進みます。4郡が置かれた都市を全部まわりました。

まずは河西回廊がある甘粛省の入口、蘭州へ。
旅行に行く直前は飲んでラーメンという乱れた生活をしていたので、そこから離れようと思っていたら、なんと蘭州の名物はラーメン。旅行中、いつも麺がついて回りました。
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次は武威。
ここでは漢時代の陵墓から、馬踏飛燕と呼ばれる像が発見されました。
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続いて張掖。
大きな涅槃仏がありますが、木塔もあります。
これは一旦地震で倒壊したものの、再建したそうです。そう、この地域は100年に1回くらい、大地震があるのです。
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酒泉は鐘鼓楼だけ見て通過。

嘉峪関。ここは明時代の関所だったところ。
きれいに残って、修復されています。
ここに関所が設けられたのは、河西回廊がこのあたりで最も狭くなっているという地形上の理由だそうです。
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そして最後は敦煌、ここは三連泊。
楡林窟、莫高窟は素晴らしかったのですが、写真はなし。
ということで、ホテルの部屋に飾られた絵を。
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これは「反弾琵琶」と呼ばれていて、敦煌のシンボルとして街の中心に像まで立っています。
莫高窟に描かれた極楽浄土で舞う姿で、実際に唐の時代に行われていた舞だと思います。
背中に琵琶を背負い、舞いながら後ろ手で弾くという超絶技巧です。

莫高窟の壁画には感動しましたが、仏画といっても堅苦しいものではなく、楽しさ、素晴らしさのようなものを生き生きと表現しているところに理由があったのかも知れません。

敦煌は沙州とも言われるように砂の山の鳴沙山があり、登ることができます。
不思議なことに、砂の山には月牙泉という泉が昔からあります。左側にちらっと映っているものです。
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敦煌の郊外には玉門関。
これは漢の時代の関所になります。河西回廊は内陸なので寒暖の差が激しく、朝は初冬のような寒さでしたが、青空はきれいでした。
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旅の最後は敦煌から夜行列車で一気に東に戻って、シルクロードの起点の西安です。
大雁塔はシルクロードを通って、玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った経を収めるために作られた塔です。
ここでの翻訳があって、日本の仏教もあるわけですね。
しかし、この塔、左に傾き始めています。分かりますか?
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そして兵馬俑。
いくつもの王朝の首都となった西安ですが、初めて中国を統一した秦の始皇帝の陵墓を守る6000体もの兵士たちです。
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西安は一日の急ぎ足の観光。
最後は街の中心の鐘楼のライトアップを見ておしまいでした。
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