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京都国立博物館「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」 [芸術]

会期終了間際の、京都国立博物館の展覧会に行ってきました。

佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美
https://kasen2019.jp/

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佐竹本三十六歌仙絵は、鎌倉時代に書かれた三十六歌仙のプロフィール、和歌と姿の絵が並べられた絵巻。
秋田藩主佐竹家に所有されていましたが、売りに出されることになりました。
しかし、あまりに高い値がついて買い手が現れない。
このままだと海外に流出するかも知れない。

ということで、なんと絵巻が切断されて、当時の財界人たちが分担して買い取ったというのが100年前、1919年の話。

諸行無常、栄枯盛衰でそれぞれの所有者も変わっていき、不明になってしまったものもある中で、そのほとんどが切断100周年に終結する、という少々芝居じみた展覧会でもあります。

切断したのが良かったのか悪かったのか。
ただ、切断したそれぞれは表装され、絵巻とは違って気軽に楽しめるようになりました。
また、それぞれの新たな所有者が工夫を凝らした表装そのものが見所です。

ただし、やはりこうした作品を楽しめるには、和歌の知識が必要で、書も楽しめる必要があり、ちょっと私には難しかったです。
なんて書いてあるかわからないですからね。

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種子島旅行 [旅・出張]

日本の島シリーズ、面積第14位の種子島。
11月の連休についに行ってきました。

ふりかえれば、種子島初挑戦の9月後半の連休は、鹿児島まで行ったものの台風のせいで海を渡れずに鹿児島旅行になってしまい、10月の連休は徳之島に行こうと思ったら台風首都圏直撃で今度は東京からすら出ることができませんでした。

鑑真のような気分になってきましたが、三度目の挑戦です。


マイレージの予約だったので早い時間がとれず、夕方に鹿児島入り。
さすがに台風シーズンではないだろうと思ったら、今度は桜島の噴煙で戻る可能性があるとの運行情報が・・・。
さらに夕方には薩摩硫黄島が噴火。

しかし、なんとか鹿児島到着。
知らなかったのですが、おはら祭というお祭りをやっていました。
先日も来て勝手知ったる鹿児島で飲んで、翌日は早起き。


西日本なので遅めの日の出の中、いよいよ鹿児島港から高速船で種子島に出発。
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島の北部の西之表港についに、ついに上陸。
まずは月窓亭。
明治維新後、将棋の羽生さんの先祖の家に、島を治めていた種子島家が住んでいたとのこと。
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奄美で見た島の家っぽい間取り。

続いて鉄砲館という博物館。
鉄砲に限らない、地学から生態系の展示があり、歴史の中で鉄砲伝来に触れられていました。
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ここから一気に南下し、JAXAの種子島宇宙センター。
ここは、世界一美しい発射場と言われているのだそうです。
海に面して緑が多く、広い。

ロケットガレージでは打ち上げが中止されたH2の7号機。
重量の9割は燃料だそうで、缶ジュースのようなものとのこと。
大型ロケット発射場ではバスの中からのみ。
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本当の発射、見てみたいですねえ。

宇宙科学技術館を見学してから近くの広田遺跡。
ここは弥生時代の墓地の跡らしいです。
なので、ちょっと殺風景です。
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これも、台風のせいで海岸が削られてみつかったものだそうです。
博物館が併設されていますが、ロケット発射時は周囲立ち入り禁止になるため、展示物を全て持ち出して待避するのだそうです。

帰りは雄龍・雌龍の岩を通り、
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天女ヶ倉展望台に日没直後に着きました。
まあ、一日だとこんな感じですよね。
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隣の屋久島と対照的に、種子島は平坦で、最も高いところで282.4mしかありません。


夕食はいろいろ聞いたことがない食べ物があって楽しめました。
伊勢エビはもちろん、セミ海老、草履海老と合ったので草履海老を注文。
食べられるところが少なかったものの、美味しい食べ物です。
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近くで飲んでいた地元の若者の話を聞いたり、楽しい夜でした。


これまでの2回がなんだったというくらい、(晴天ではなかったものの)天気に恵まれた中、島を後にしました。
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東京都美術館「コートルード美術館展」 [芸術]

このところ旅行や引っ越しにかまけていて、美術館に行ったのは5月が最後。
しかし、美術検定3級を受けて再び活性化され、不得意な西洋美術も学び直しだと思っていってきました。

コートルード美術館展
https://courtauld.jp/

ロンドンには何度も行っているのに知らなかったコートルード美術館というものがあり、たまたま改装をしているために、その間に収蔵品が日本に来たと言うことのようです。

対象にしているのは印象派とポスト印象派。
日本でも人気があって、自分でもある程度は知っている分野だったので楽しみつつ、知識を広げることが出来ました。
というより、ある程度知っているどころか教科書に乗っているような主要な絵が並んでいて、ちょっとびっくりしました。

セザンヌについては、これだけまとまってみたのは初めてだったので、勉強になりました。
印象派の絵とは明らかに違うし、美しい景色とは言え、何でもない風景も書いているんですよね。
絵によって色も随分と違う。
有名な「大きな松のあるサント・ヴィクトワール山」は赤っぽいけども、「ジャス・ド・ファン・ファンの高い木々」は緑っぽい。

そして、遠近法を無視して歪んだ空間や歪んだ人を意図的に書いている。
これは、「カード遊びをする人々」や「キューピッドの石膏像のある静物」を見ると明らか。

ドガの「「舞台上の二人の踊り子」も照明の明かりの陰影と動的な構図が、解説にもあったように写真のようです。

そして後半には展示会の顔となっているのはマネの「フォリー=ベルジェールのバー」。
美術検定3級の試験にも出題されて、なかなか苦戦させられたので、敵を見るように・・・ではなく、細部まで関心を持って、真面目に見ました。

そのほかにも、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、スーラ、ルソー、ゴッホ、モディリアーニ、ロートレック、ゴーギャン、ボナールとこれでもかという大御所。

画家別にまとめられて展示されていることと、全体的に解説が丁寧なのが良かったです。
いくつかの主要な絵については別途絵の解説パネルがあり、構図等について説明されていました。
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日本列島100万年史 [読書(教養書・実用書)]


日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語 (ブルーバックス)

日本列島100万年史 大地に刻まれた壮大な物語 (ブルーバックス)

  • 作者: 山崎 晴雄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 新書



旅行をしていると、地形というものに興味を惹かれずにはいられません。
なぜそこに街があるのか、どうして栄えたのか、どうして衰退したのか。
特に最近のように離島を旅行していると、離島の場合は生成の歴史的経緯によって、生態系も大きく異なってくるのです。

本書では日本列島がどのようにでき、各地方がどのような地形なのかを概観することができます。

構成としてはまず第1章で日本列島全体の形成と、以降も出て来るプレートテクニクスをはじめとした概念の説明が行われます。
1900~1500万年前に起こった日本海開裂によって、ユーラシア大陸の東端がちぎれて日本海が形成、つまり日本列島ができました。

続いて、第2章から第8章では北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州と地方毎に全体あるいは代表的な地形を解説しています。

やはり第1章が難しいけれども重要で、何度も読み返しました。

全体像としては、日本はユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという3つのプレートがぶつかり合っているという場所にあると言うことが大きく、それぞれのプレートが動く方向、ぶつかって沈み込む位置(線)が重要です。

また、マグマが生成されるには高温が必要ですが、圧力が高すぎてもだめなので、プレートの沈み込みからちょうど深さ100kmくらいのところで生成されやすい。そのため、プレートの沈み込みから少しずれたところに火山が線上に並びます。

伊豆半島、そして富士山は、フィリピン海プレートが西向きに進みながらフィリピン海プレートに沈み込んだ結果生まれた、フィリピン海プレート上の火山フロントである伊豆バーが、フィリピン海プレート自体が北向きに移動してユーラシアプレートの下に沈み込むという特殊な構造で生まれているのですね。

また、気候変動の影響で2万年前には氷期で現在より120mほど海水面が低下し、その後1万年前からは一気に温暖化して海水面が上昇しています。

海水面が下がって陸続きになったところとならなかったところでは生態系の連続性に違いがありますし、海水面が上下すると河川の流れが急になったり緩やかになったりするので浸食の仕方が代わり、河岸段丘や扇状地が形成されます。

印象的だったのは活断層と人々の生活についての記述です。
今でこそ活断層は悪者扱いされ、その近くは良くない場所とされていますが、そもそも日本列島で人が住める平地や盆地は、活断層による高低差を土砂が埋めて作られたもの。
そして、平地や盆地の真ん中は川が氾濫して住みにくいので、平地や盆地の縁に住みがちであること。つまり活断層の近くですよね。
そうしたことを考えて、どこに住むのが正しいのかを考えなければならないということです。




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引越の儀 [引越]

さて、随分と時間が経ってしまいましたが、引越をしてみました。

理由としては、本が多くなって本棚に入りきらなくなったりものが増えてきたこと、
独身貴族?なので、もう少し贅沢をしても良いかな、と思ったことです。

気がついたら16年も住んでいたことになっていて、人生で最も長く同じ場所に住んでいたことに気がついたこともあります。

更新前に不動産屋に行き、1日で2件見てそのうち1件に決めるという即断即決。
16年引っ越さなかったくせに。

16年前の引越も近所だったけれども、今後も近所なので1ヶ月間ほど両者の賃貸期間を重ならせ、準備を進めました。
いや、進めるはずでした。

明らかに要らない物を粗大ゴミに出したり、それなりに進めてはいたものの、最大の誤算は、引越屋にもらった50箱の段ボールでは荷物が入りきらなかったこと。

引越屋が見積もりに来た時点で、「思ったより物が多いですね。」と言われており、トラック2台で移動することになってはいましたが、段ボールが足りないとは。

当日、引越屋に段ボールをもらって追加で詰めたところ、あと25箱位ありました。
引越屋が見かねて、ついでですから、と荷造りを手伝ってくれたのでとても助かりました。
ただ、そのおかげで、最後に詰めたようなもの、つまり最後まで使い、最初に使うようなものがどこに入っているかわからなくなったのは少々困りました。

荷物を運び出しているときの会話。
「住居兼仕事部屋ですか?」
「いや、ただの住居です。」

本が多いんですよね・・・。

引っ越したのは、皆休日だと気がついていなかった即位礼正殿の儀の日で、あいにくの雨でした。

朝から引越をして、午前中で終わり、新居で片付け。

最初は冷蔵庫の電源を投入し、中のものを入れ、郵送されてきたモデムを受け取って、インターネット接続までやりました。
インターネット、部屋にイーサネットの口があるのは今風だと思いましたが、なんと光ファイバーが部屋まで来ていて、モデムまで光ファイバーでつなぐ形式でした。
最初紐みたいなものしかモデムに付属していなくて、どうやってつなげば良いのかわかりませんでした。

一週間後に旧居のガス栓を締めて片付けてから明け渡し。
ちょっと寂しい気持ちになりますね。

旧居は車道沿いで3Fだったので、昼間は車の音が聞こえるし、外を見れば歩いている人も見えました。
新居は道から入って反対側の1Fに部屋があるので、しんとしているし、外にも人は見えません。
そのせいか、もう、人生の半分が一人暮らしなのに、ちょっぴり寂しくて、心細いです。

引越のばたばたで何がどこにあるか分からず、随分と苦労が続いたものの、ようやく日常生活はできるレベルまでにはなってきました。

洗濯機をつなごうと思ったら水道栓の形が違ってなかなか苦労しましたが、洗濯機をつないで洗濯できるようになりました。
CATVの人にわざわざ来てもらったものの、BSアンテナが着いていたのでCATVを契約を断り、TVを見られるようになりました。
NTT東日本のひかり電話に一応入りました。
1日で住所変更を終わらせ、電気、ガス、水道はもちろん、金融関係も一通り住所変更が終わりました。
意外に都市銀行はオンラインで変更できてしまい、やっかいだったのは投資信託を持っている口座で本人確認書類が必要だったことです。
それさえ、一部は画像ファイルのアップロードで済みました。
時代ですね。

この週末には、台所関係の片付けを随分と進め、料理も出来るようになりました。
サイズを間違えて再度注文していたカーテンが届き、全ての部屋にカーテンが付きました。

食器も多すぎということに気がつき、使わない食器を近くのリサイクルに出しました。
「家の取り壊しか何かですか?」
「いえ、ただ引っ越ししただけです。」
使わない食器だけで、段ボール2箱でした・・・。

いちいち物が多いのは、両親が亡くなっているため、一部ものを引き継いでいることも多いです。
愛着や思い出があるものも多いですが、思い切って捨てないとだめですね。


ざっと数えてみると、結局段ボール箱は75箱!くらいあって、片付けたのは30弱。
先は長いけれども、年内にはなんとか。


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種子島に行こうとして鹿児島旅行 [旅・出張]

島シリーズの一環として、9月後半の連休、種子島を目指して、満を持して羽田空港に向かいました。

台風17号が近づいていて宮古島行きなど欠航はしていましたが、鹿児島行きはスケジュール通り。
着陸寸前は相当揺れたものの、無事に着陸しました。

ところが予約していた種子島までの高速船(水中翼船)は欠航してしまっており、
種子島行きの飛行機は飛んでいたものの、当然満席。
鹿児島で足止めを食ってしまいました。

仕方がないので空港のロビーでネットにつないでレンタカーやホテルを片っ端からキャンセルし、新たに鹿児島のホテルを予約。
一仕事して空港で昼食をとりました。

鹿児島は前に観光したことがあるし、種子島に行くつもりだったので鹿児島のガイドブックは持っていないし、どうやって過ごすかは悩ましい。
ホテルに荷物を置き、町でガイドブックを買って、とりあえずこの日は桜島にフェリーで渡ってみました。
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夜になると台風が近づいて風雨が強まってきました。

翌朝は台風最接近なので、遠出は諦め、(一度まわったことがある)市内観光。
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行っていないところに行こうということで、いおワールド鹿児島水族館を見て、鹿児島市立美術館を見て、前にも来た鹿児島県立美術館を見て、黎明館に行きました。
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黎明館は初めて。
館内は広く、展示も歴史、民俗、芸術まで幅広く、なぜか?人が少なかったのでゆっくり見られました。
鹿児島の歴史となると、いかに維新に貢献したかという話になってしまいますが、負の歴史とも言える廃仏毀釈にも触れられていたことが印象的でした。

夜になると風雨は落ち着いてきたので、さらっと飲んでホテルに帰りました。

そして最終日。
台風一過の快晴。
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レンタカーを借り、指宿のあたりまで海岸沿いをドライブしてきました。
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種子島、次回こそ。



と書いている今日も、徳之島に出発するはずだったのに、台風19号のせいで自宅軟禁です。
日本の秋の旅行は難しいですね。



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伊豆半島一周 [旅・出張]

9月の3連休、どこに行こうか決まらず、土曜日になっても悩みました。
近場に行こうとしても、台風15号の影響で、千葉や伊豆諸島には行ける状況ではありません。
結局昼になって伊豆半島を一周することを思いつき、出発。

今回は伊豆半島を反時計回りにまわってみることにして、まずは沼津に1泊。
沼津はそれほど大きな町ではないものの、繁華街もそれなりに活気がありますね。

翌朝は快晴。
沼津港大型展望水門「びゅうお」を見ました。
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これは津波による水害を防ぐためのものらしいですが、展望台にもなっていて、ボランティアが説明もしています。
富士山の景色と、透き通った青い海が印象的でした。
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ここから伊豆半島に入り、海岸線を走って、戸田。
「とだ」ではなく「へだ」。
ここは小さな湾になっていて、古くからの戸田港があります。
最近読んでいる地学の本の通り、湾には砂嘴が発達しています。
湾の中の海はとても穏やかで、海水浴をしている人も楽しそうでした。

砂嘴の先には造船博物館があります。
静かな港町ではありますが、ここ戸田は近代造船発祥の地なのだそうです。
幕末にロシアのプチャーチンが通商を求めて日本にディアナ号で訪れましたが、1854年の安政東海地震で大破、修理を試みるものの沈没してしまいます。
そこで、ロシア人船員の指揮の下、日本の船大工の力を借りて新たに帰国するための船を作ったのがここ戸田で、作られた船はヘダ号と名付けられたそうです。

また、この戸田は深海魚が食べられる食堂が並んでいて人気があります。
赤ムツ(ノドグロ)を食べました。

さらに南下して土肥金山。
伊豆半島で金が採れたとは知りませんでした。
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続いて、堂ヶ島で定番の洞窟めぐりボート。
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ここまでの西伊豆、海沿いを走り、海の向こうには富士山が見えて絶景です。
海も美しく、釣りをしている人もたくさんいてうらやましい。
また、結構起伏があって、山道も通ります。
ドライブは楽しい。
地形や雰囲気は離島のようで居て、東京からの近くにこんなに良いところがあるのかと驚きました。
ただ、観光客は多く、コンビニも多い。

夕方になって、松崎という小さな町を訪れました。
伊豆半島の町によくあるというなまこ壁があります。ただ、この場所だけ。
むしろ、その先にある明治商家中瀬邸が素晴らしい。
日本家屋の欄間や障子の幾何学的なデザインは本当に素晴らしいと思います。
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町は桜の季節も美しいとのこと。
また来てみたい場所です。
少し郊外には国指定重要文化財岩科学校があります。
和洋折衷で学校とは思えぬ不思議な建物です。
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伊豆半島の最南端、石廊崎(いろうざき)に着いたのは日が暮れた直後。
波はもちろん、風がものすごく強かった。
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暗い中、下田に向かう途中、道にイノシシが登場してちょっとびっくりしました。
この日は下田に泊まり、寿司を食べに街に出ましたが、なんと海が荒れていて、名物の金目鯛を食べられず。
これまたまた来る必要がありますね。

翌朝は下田の町を見学。
下田ロープウェイで寝姿山に登ると、下田の町や下田湾が一望できます。
この小さな湾に、黒船がやってきたのですね。
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町に降りて、稲田寺(とうでんじ)、宝福寺、下田開国博物館、了仙寺、黒船ミュージアムMOBS。
唐人お吉やら、ペリー来航の様子。
いち早く開港された下田は、欧米では一番有名な日本の町でした。
ちょっと面白いのは寺を見ると、関東なのにシキビが供えられていたところです。

ブラタモリでも出たペリーロード。
ここは観光地としても整備されていて、しゃれたカフェなどもあります。
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全体として、下田は観光客が減っているとのこと。
確かに東京からはちょっと時間がかかりますが、電車で行ける半島、なかなか良いと思うのですけどね。
最後にダメ押しに寿司を食べて、5時間かけて東京に戻りました。

海岸線をまわったので、見られなかった内陸部も含めて、また行ってみたいところですね。
今度はできれば電車で行くか、時計回りにまわってみたいです。

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五島福江旅行 [旅・出張]

日本の島シリーズ、今度は15番目の大きさの五島列島福江島に3日間の旅です。

長崎県の五島列島はいくつかの島の集合体で、行政区分も複雑ですが、大雑把に上五島、福江島(下五島)と分けても呼ばれます。
今回は福江島のみ。

行きは長崎空港で乗り換えて、五島つばき空港へ。
バスで乗り換えて福江港へ。
結構船の出入りが多く、それがまた島らしい雰囲気を醸し出しています。
マツモトキヨシもありました。
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例によって?雨が降りだしました。
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初日で時間も少ないので、まずは、五島観光歴史資料館を見学。
3フロアに亘って充実した展示。
各地の念仏踊りの展示も興味深く、ヘトマトというのも日本の祭りらしいなあ、と思いました。
大草離を男たちが神社に運んで奉納するのですが、昭和20年頃から、通りがかりの女性を無理矢理草履に乗せて胴上げするという行為が加わったそうです。
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翌日も予想通り雨。
まずは福江港近くの武家屋敷通りと山本二三美術館。
福江は残念ながら1962年に福江大火と呼ばれる火事があって市の中心部が焼けてしまったものの、ここは古い街並みが残ります。
石垣の上に丸石を積み上げ、かまぼこ形の石で止める、というのがここのやり方のようです。
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五島といえば教会。
ただ、戦国時代にキリスト教徒が増えたものの、弾圧で一旦ほぼ途絶えてしまい、その後九州本土の大村外海(そとめ)地区から移住した農民がキリスト教を密かに守ってきました。
明治維新直後もキリスト教弾圧は続きましたが、外国からの批判によってようやく信教の自由が認められました。
今ある教会はそれから建築されたもの。
なので、寺社仏閣のように古くはないですし、海外の立派な教会と違って素朴です。
ただ、生活に密着した感があって、集落の一つ一つに特徴的な教会があり、誰もいなくても勝手に中を見学できます。
靴を脱いで上がるんですよね。
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そして教会とともに魅力的なのが海岸線で、入江が深く切り込んでいて、静かな湾を作っています。
隆起した地形と火山の噴火によって作られた作られた地形が組み合わさっていて、断崖絶壁があると思えば、美しい砂浜もあります。
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教会と海岸線を見ながら一日かけて一周し、福江で飲んで2日目終了。

最後の晩は雨が強く、朝方は雨の音と雷の光で目が覚めるほどでした。
どうやら大雨警報が出ていました。
港に出ると、海の色が一変していました。
川から土砂が流れ出したのでしょうか。
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福江城を覗いてみましたが、庭園は天候のために入場中止でした。
福江城、かつては高松城のように海に面した城だったのに、現在は埋め立てが進んで、街中になってしまっています。
でも、石垣や堀は風情があって、今は長崎県立五島高校が中にあるので、高校生が出たり入ったりしています。
昔は金沢大学もお城の中にありましたね。
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さんざん雨降ったのに、帰ろうとすると晴れてきました。
帰りはジェットフィルで。
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島を出ると、やはり途中で海の色が変わって、大雨の土砂の影響だったのかな、と思いました。
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長崎に渡るとやはり大都会。
ちょっと時間があったので崇福寺を見て、蚊に刺されて帰ってきました。
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隠岐(島後・島前)旅行 [旅・出張]

島の旅シリーズ、今回は島根県隠岐(島後・島前)。

隠岐と呼ばれる諸島は島後(どうご)と島前(どうぜん)の2つのエリアからなり、島後は島後という島一つ、島前は中之島、西ノ島、知夫里島の3つから主に構成されています。


■島後編

金曜日の夕に羽田空港から出雲空港に飛んで松江で一泊し、翌朝土曜日の朝に飛行機で、島後(沖ノ島町)の隠岐世界ジオパーク空港へ。
ATR42-600、なかなか味があります。
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レンタカーで出発し、玉若酢命神社へ。
玉若酢命神社は入口にある八百杉(やおすぎ)という巨大な杉で有名です。
手水舎にアジサイが沈められているのもしゃれていますね(アジサイは毒だけど)。
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隠岐はとにかく神社がたくさんあり、島とはいえ回りきれないほどです。
(実は寺もたくさんあり、幕末には隠岐に106あった寺は一時0になるほどの激しい廃仏毀釈で激減している。)
建築様式は隠岐造りと言われるもので、大社造りに似ています。

続いて向かったのは佐々木家住宅。
庄屋の家を保存したもので、中を案内してもらえます。
家の前の石段に生えている草(龍の髭)、雨だれがはねないようにする機能があるのだそうです。
知りませんでした。
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隠岐はアジサイがとても多いです。
川沿いにも並んで咲いているのを見ると、これは自然に生えているのではなく、人が植えているのでしょう。
住んでいる人の心意気を感じますね。
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途中で岩倉の乳房杉(ちちすぎ)に立ち寄った後、中村地区で昼食。さざえ丼。
さざえって、普段あまり食べないもの。最後に食べたのはいつだろう。
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島後の北端近くまで来て、白島(崎)展望台。
ここは岬のように少し飛び出しているのですが、湿った海風で洗われているため、不思議なことに1年中アジサイが咲いているらしい。
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そしてこれは島後の見所として有名なローソク岩。
日本海側は波が荒く浸食が激しいため、波で洞窟が穿たれ、それが崩壊して残るとこのような形が残るそうです。
これは思ったより小さいかな。
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ここからは南下して、創生館、向いの隠岐郷土館、水若酢神社。
それぞれほぼ隣り合っています。
隠岐郷土館は学校だったような建物で、竹島の展示コーナーもありました。
そう、竹島は島根県沖ノ島町に属しているのです。
水若酢神社はやはり本殿は妻入の隠岐造り。
http://www.oki-geopark.jp/episode/lifestyle/culture/architecture/
土俵があります。これも隠岐によく見られるらしい。
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夕方になってきて、都万の船小屋を見て、壇鏡神社、壇鏡の滝へ。
壇鏡の滝は入口がわからなくて難儀しましたが、ようやく到達した滝は雨の中、趣があってとても良かった。
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レンタカーを返し、送ってもらって、夕食に魚をたくさん食べ、たくさん飲んで島後の一日が終了。


■島前・中之島編

一夜明けた朝、ホテルをチェックアウトして、島後の西郷港のフェリー乗り場からフェリーしらしまで出港して中之島の菱浦港に上陸。
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中之島は行政区画では海士町となります。
過疎ばかりの離島の中で人口が増加に転じたことで有名で、人口の2割はIターン、Uターンだそうです。
山がちの隠岐の島々の中で唯一稲作が行われていることも特徴だそうです。
また、斜面では牛が放牧され、足が強くなります。足が強くないと体重を増やせないそうです。

菱浦港の建物は当地の踊りの名を取ったキンニャモンニャセンターと呼ばれる木で出来たしゃれた建物です。

ここから、海中展望船「あまんぼう」に。
随分と時間が経っているので地図で見てもわかりにくいですが、島前の三島は火山のカルデラを囲む地形が元になっています。
島に囲まれた内海はとても穏やかで、ほとんど波がないため、岸際まで木が生えています。
しかし、内海を出たところにある三郎岩の近くに行くと波が荒く、木が生えている位置が高くなっています。
日本海の浸食は激しく、どんどん海岸の様子が変わり、三郎岩も最近岩が4つになってしまったそうです。
その三郎岩近くで水中を見ます。
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来るたびに船から餌をまいているので、魚が集まっています。
また、写真ではわかりにくいですが、海底は夥しい数のさざえでいっぱいです。

海中展望船を降り、船の時間まで菱浦の集落を歩いていました。
家々の庭もきれいに手を入れられていて、花が咲いています。
また、中国地方でよく見る恵比須さんがはまった瓦もありました。


■島前・西ノ島編

半日の中之島の菱浦港滞在後、昼に出航。
島前の島々の間は内航船という船が1時間に1回程度行き来しており、簡単に移動できます。
菱浦港を出航して15分で西ノ島の別府港に到着。
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西ノ島中心部の浦郷港まで行き、定期観光船で出発。

西ノ島の観光のハイライトは、北側、日本海に洗われたダイナミックな海岸線です。
しかし、主要な集落、港は海外線と波が穏やかな南側の内海側にあります。
内海から北側に出るためには船で島を回り込まなければなりませんが、島の細い部分に 船引運河という水路が掘削されていて、ショートカットできます。
日本海に浸食された国賀海岸は切り立った崖になっていて、尖った岩や、浸食された洞窟がたくさんあります。
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これらの近くを通るだけではなく、なんと洞窟の中に船で入ったりします。
その中でも深い、明暗(あけくれ)の岩屋にも入ることが出来ました。
暗いトンネルから、出口に近づき、外の光が入る瞬間は歓声が上がります。
ここに入れるのは天候次第で、何度も来ても入れない人がいるくらいだそうで、とてもラッキーでした。

浦郷港に戻り、今度は定期観光バスで出発。
赤尾展望所、 摩天崖と、断崖絶壁を陸から、上から見ます。
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見晴らしは良いですが、崖の凄さは海からに軍配が上がるでしょうか。
また、西ノ島も牛や馬が放牧されているため・・・足下が落とし物だらけ。
景色を見るどころか下ばかり見ている感じでした。

帰りには由良比女神社。
ここは面白い由来があります。
由良比女が芋桶に乗って海を渡っているときに、イカが美しい手に無礼を働き、そのお詫びに毎年神社の前の浜にイカがたくさん上がるようになったそうです。
実際にこの浜にはイカが大量に押し寄せるそうで、最近でこそ減ったものの、今でもイカが集まるそうです。
http://www.town.nishinoshima.shimane.jp/midokoro/miru/138
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これで夕方、宿にチェックインして、食堂で刺身定食を食べて西ノ島観光終了。

翌朝はバスで別府港に戻り、黒木御所阯。
隠岐に流された後醍醐天皇が住んだという場所です。
高台にあって、穏やかな内海がよく見えます。
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返りに西ノ島ふるさと館を見て別府港に戻り、フェリーしらしまで出航。
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知夫里島の来居港によってから外海へ出て、本土の境港に到着、バスで米子駅まで出て、特急やくもで岡山、のぞみで帰りました。
行きの飛行機と違って、帰りは一日がかりでした。


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淡路島旅行 [旅・出張]

日本の島シリーズ、今度は淡路島に行ってきました。
本州、四国とも橋でつながっているので離島感こそ薄いものの、東京からだと行きにくいですよね。

淡路島東部、中央あたりの洲本からレンタカーを借りて出発。
まずは洲本城、山上でとても景色が良く、洲本の町が一望できます。
また、砂浜が拡がり、大阪にも神戸にも近いのに海の透明度が高いことも印象的です。
城址には偽物の天守閣が作られていますが、中に入ることは出来ません。
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洲本を出て、反時計回りに一周することにしました。

途中で東山寺(とうさんじ)に立ち寄り。
本当にこの道で大丈夫かと思うような狭い山道を進むとあります。
淡路島最古の木造建築とのこと。
山奥の寺なのに阿形と吽形がいます。ただ、仏像は見られなかった。
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夢舞台で昼食を摂ってから、道の駅淡路、淡路島北端です。
明石海峡大橋が大きく見えます。
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淡路島は明石海峡大橋で本州と、大鳴門橋で四国とつながっていますが、大鳴門橋が先に出来たのですね。
明石海峡大橋は世界最長の吊り橋で、3990mという計画が、工事の途中で起こった阪神淡路大震災のせいで3911mになってしまいました。
鉄道を通すことは想定されていないそうですが、水道管が通っていて、淡路島の水不足を解消したのだそうです。

北端を回って今度は西岸を南下。
淡路島は全体的に高い山がなく穏やかな地形で、海岸線もなだらかなため、海沿いの道のドライブが続きます。
アップダウンもそれほどないせいか、自転車も見かけます。
ただ、自転車はなぜか対向ばかり、時計回りが主流なのでしょうか。


北淡震災記念公園では、1995年の阪神淡路大震災でずれた野島断層がそのまま残っています。
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家のすぐ横をこの断層が走ったものの倒壊しなかった「メモリアルハウス」も見学できます。
震災の体験コーナーもあってみていたが、揺れ方が鋭い。
建物の倒壊の写真もすごかった。

うってかわって近くにある淡路市北淡歴史民俗資料館は、北淡震災記念公園をよそに空いていました。
見学者はあとひとりのみ。
歴史を感じる?建物。
しかし、展示物は興味深く、土器で出来たイイダコ漁のたこつぼがあります。弥生時代でしょうか?
今でも漁をするとこれが網に掛かるらしい。
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そのほか、塩作りのための土器が見つかるのも特徴的です。
塩はここで消費する分だけではなく、他の地域にも供給されていたようです。
阪神・淡路大震災で壊れたという布団だんじりの部分展示もありました。
その他、漁師の防寒着「どんざ」、魚を買い付けた「生船(なまふね)」、不遇の国学者鈴木重胤の展示もありました。

残りは神社をはしご。

伊弉諾神社は淡路国一宮で、相当に立派な神社。
でも、憲法改正ののぼりがうっとうしい。政治的主張をここでしなくとも。
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おのころ神社は、鳥居だけ大きいものの、拝殿も小さなものでした。
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さらに国分寺は跡形はあまりなく、山の中にある成相寺(なりあいじ)も中身は公開されていませんでした。

このあたりで時間がなくなり、一周を諦めて高速に乗って洲本まで戻りました。


さて、一夜明けて最後は洲本の探検。
まずは洲本市立淡路文化史料館。
狸が迎えてくれます。淡路島には狸にまつわる昔話がいくつかあるようです。
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ここも3フロアの充実した展示なのに、空いています。
縄文のちょっとの展示と充実した弥生時代、古墳時代の展示があり、ここでも古くから塩を作っていたことが解説されています。
そして近世・近代の展示も充実。
現在の淡路島は兵庫県になっていますが、かつては阿波の領地でした。
阿波の蜂須賀氏の有力家臣の稲田氏が治めていましたが、維新で蜂須賀氏は幕府側、稲田氏は朝廷側に分裂。
維新後は政府に士族の処遇を求める稲田氏を蜂須賀氏が襲う稲田の変が起き、政府は蜂須賀氏側を処分するだけではなく、稲田家家臣も日高の静内に送られてしまいました。

また、洲本と福良の間に60年代まで鉄道が走っていたというのも驚きです。
淡路人形浄瑠璃やだんじりの展示もありました。

洲本城はかつては山上にありましたが、その後は麓に移り、そこを中心に、海側の内町、上流側の外町からなっていました。
海側の内町には2箇所からしか入ることが出来ませんでした。

昔の地図を見てから、淡路文化史料館を出て、現在の町へ。
地図で、左右の町の格子を見てください。
http://www.sumoto-cci.org/shimaaruki/sumoto/
今でも町の格子がまったく違います。
また、上に洲本川が流れていますが、その下にいわた通りという広い通りが左右に走っているところに注目です。イオンの下です。


堀端筋が内町と外町を分けていた掘り割りの跡です。
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外町だったところには商店街がいくつかあり、入口付近は賑わっていたものの、奥は寂れていました。
かつて洲本にはカネボウの工場があったそうですが、その当時は違ったのでしょうか。
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北側を東西に走るいわた通りは、不思議な感じで曲がっています。
これはブラタモリをいつも見ているとピンときますが、やはりかつての洲本川の流路のようです。
その後はここを鉄道が走っていたようですね。
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洲本川を付け替えて出来た土地にかつてのカネボウの工場がありました。
現在でもいくつかの建物が残されています。
写真で見ると、となりにみなと銀行の建物も同じような色合いで建てられて配慮されていますし、道の建物側は殿中がありませんね。良い感じです。

短時間ですが、なかなか楽しい街歩きでした。
ただ、街自体ほとんど高低差がなく、津波が来たら心配ですね。


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